■節子への挽歌1165:生きるというのは遺されること
父親を見送ったという方からのメールに、
「生きるというのは遺されることなのだと感じずにはいられないこの頃です」
と書かれていました。
私の場合には、まさにその通りなのですが、私よりかなり若い人においても、遺されるという気持ちが生まれるのだと知りました。
おそらくこれもまた、日本的な死生観につながっているのかもしれません。
節子を見送った時に、私は自らの半身が削がれたような気がしました。
言い方を換えれば、半身が遺された感じともいえます。
当時、節子がいなくなったにもかかわらず、なぜ私は生きなければいけないのか、という素朴な思いがどこかにありました。
残ったのではなく、遺されたのだと思えば、こんな思いは出てこなかったかもしれません。
遺された生は、私のものだけではなく、私たちのものだったのです。
そのことに気づいたのはかなり時間がたってからです。
個々の生命ではなく、生命のつながりによって構成されている「大きな生命」という生命観に立てば、「死」という概念はなくなります。
身体的な節子はいなくなったとしても、私のなかに節子はまだ生きています。
誰かが思い出している間は、個としての生命も存続していると考えていいでしょう。
父母を見送った時には、私はそんなことは考えませんでした。
しかし、時々、ふっと父母の生命を近くに実感することがあります。
父母の生命が、私の心身の中に間違いなく遺されているのです。
しかしそのことを意識したことはありませんでした。
あまりにも当然のことだったからかもしれません。
血縁のない節子との関係は、父母とはちょっと違いました。
しかも年齢的には節子は私よりも年下で、本来は私が見送られるべきだったのです。
節子が先に逝くなどということは、私には思いもしないことであり、ありえないことだったのです。
そのせいか、遺された事実をうまく受容できなかったのだろうと思いますが、素直に考えれば、生きるということは遺されることという表現はすんなりきます。
そして同時に、遺されるとは生きることなのだということもすんなりと受容できるようになってきました。
遺された心身を大事に生きなければいけないのかもしれません。
残念ながら、まだその気にはなれずにいます。
困ったものです。
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