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2010/11/11

■国家秘密を守ることで戦争まで行くこともあります

尖閣諸島沖での中国漁船衝突の映像を海上保安庁の職員がユーチューブで流したことに私は拍手を送ります。
もし私が同じ立場であれば、まずは上司に公開を訴え、3回やってもだめであれば、同じ行動が私の選択肢の一つになっただろうと思います。

テレビ報道を見ていると、彼の行為に関しては、国民の多くは支持し、いわゆる有識者は否定的です。
私が見た限りでは、明確に支持したコメンテーターは鳥越さんだけでした。
鳥越さんは、そもそもジャーナリストの仕事は国家の「秘密」を公開することであり、いつ罰せられても仕方がないという覚悟で仕事をしていると言いました。
とても納得できる発言です。

しかし多くの人は、組織の一員として組織の指示に従わないといけない、そうしないと行政や国家保護は成り立たないというのです。
組織の一員は「意思」を持ってはいけないというわけです。
70年前の日本では、そうしたことが戦争へと進む一つの原因だったことも忘れてはなりません。
御用学者や御用ジャーナリストが、それを加速させていったことは言うまでもありません。

たしかに官僚であれば、政府の方針には従うべきであり、それに異論があれば、組織内で先ず異論を唱え、それが受け入れられないのであれば、組織を辞めるべきでしょう。
しかし映像を公開したことは、海上保安庁という組織の大きなミッションには決して反してはいないように思います。
そもそもこの映像の公開が日本の立場を悪くするでしょうか。
政府が勝手に隠蔽したことこそが国家を危うくしているように思います
それに、公開された映像が、政府の発表していたことを否定することでもありません。
政府が「言葉」で話していたことが確認できただけの話です。
そこには「秘密性」は感じられません。
そこで明らかになってきたことは、尖閣諸島沖でこれまで、そしていま何が起こっていたかということです。
同庁の職員の発言によれば、今回のような衝突事件はこれまでもあったそうですが、私たちはそんなことを全く知らされてきませんでした。
それこそが問題であるように思います。

この事件に関していろいろなテレビ局で解説をしていた、この分野に詳しい山田教授は最初から、「海上保安庁の撮影の目的の一つは国民への説明責任を果たすため」と強調していました。
つまり「公開のため」に撮影しているわけです。
このことの意味がもっと議論されるべきだと思いますが、残念ながらその発言に関心を持つテレビ局もキャスターもいませんでした。
事実は公開されなければ、シビリアン・コントロールは成り立ちません。

公開した43歳の人の生活は壊されてしまうかもしれませんが、彼が守ってくれたものの大きさに、私は感謝しています。
もちろん彼が組織のルールに反したことで裁かれるのは仕方がないことです。
しかし、彼の生き様には拍手を送ります。

それにしても、彼をこういう状況に追いやった現政権の無責任さに怒りを感じます。
責任を取るべきは海上保安庁の長官ではなく、仙石官房長官だろうと思いますが、昨日の国会での仙石官房長官の答えには唖然としました。
卑劣な人はどこまでも卑劣です。

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