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2010/11/30

■節子への挽歌1183:最高の親孝行

節子
挽歌はさぼっていましたが、昨日、娘たちとお墓参りに行きました。
お墓の横に植えていた菊が満開でした。

節子の墓地にあるお寺は昔の城址にあります。
本堂の前からは我孫子の町の一部が展望できます。
その町を見下ろしながら、節子と一緒に両親の墓参りを来たことを思い出します。
このお寺には私の両親もお世話になっています。
節子が元気だった頃は、毎年元日に必ず家族でこのお寺にお参りに来ていました。
除夜の鐘をつきに、みんなで来たこともあります。
思い出もそれなりにあるお寺なのです。
高台にあることもあって、お寺の雰囲気は明るいのですが、明るいのは高台だけが理由ではないでしょう。

私は以前、墓地に「怖さ」を感じていました。
特に20年ほど前に、スイスの墓地を訪れた時には彼岸に引きずりこまれそうな恐怖感さえ持ちました。
しかし不思議なことに、節子が埋葬されてからは、墓地への恐怖感は一切なくなったのです。
人の意識はこれほど変わるものなのかと思ったほどです。
最近の霊園は公園のような設計にさえなっていますが、節子のお墓のある墓地は昔からある墓石だけが並んだ墓地です。
しかし、ご住職たちがいつもきれいにしてくれているおかげで、いつ行っても気持ちよくお墓参りさせてもらえます。
節子も居心地が良いでしょう。

お墓には私の両親も入っています。
いつも「節子また来たよ」と声をかけると、娘たちが「粂治も八重子もいるよ」と言います。
わが家では名前で呼ぶ文化なので、おじいちゃん、おばあちゃんとは言わないのです。
それで慌てて、2人の名前も付け加えます。

私は両親にとって、あまり良い孝行息子ではなかったかもしれません。
しかし、両親がとても気にいっていた節子を、私から両親に預けたことが最高の親孝行と言えるでしょう。
あまり親孝行ではなかった私の代わりに、節子はきっと彼岸でも私の両親を幸せにしていてくれるでしょう。
感謝しなければいけません。

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