■節子への挽歌1159:愛とは物語である
心理学者のロバート・スターンバーグは、「愛とは物語である」と書いています。
成功した結婚では夫婦が共通の物語を作るのだと言うのです。
お互いに、共有された記憶の連鎖をもとに物語を紡いでいく。
その物語づくりを繰り返すことで、お互いへの配慮や安心感、相手に対する信頼感を高め、育てていく。
私にはとても納得できる話です。
まさに、私たちはそうでした。
全く違ったところで育ち、考えも生活スタイルも違う2人が、違いを活かしながら、新しい物語を創出していくことは、実に刺激的で創造的なことです。
そして、それこそが「歴史」なのです。
どちらかがどちらかに合わせるのでは、物語は退屈なものになるでしょう。
お互いの文化を尊重しながら、しかし時には激烈な夫婦喧嘩をしながらも、共通の物語を創りだすことが、私の結婚観でした。
節子は、最初は戸惑いながらも、私の考えに共感してくれました。
私たちが創りだした物語の読者は、しかし、お互いでしかありません。
できれば娘たちにゆっくりと語りたかったのですが、一番の語り部である節子がいなくなってしまった今は、語りようもありません。
しかし、その何がしかは娘たちに伝わっているはずです。
読者のいない未完の物語。
いささかの残念さはあるのですが、それもまた「物語」なのかもしれません。
物語は、いつもか完結するわけではないのです。
明日は、自殺のない社会に向けての公開フォーラムを開催します。
予想よりも多くの人たちが集まってくれそうです。
きっとまたたくさんの物語に触れることができるでしょう。
物語に触れるたびに、私は感じます。
物語とは愛である、と。
どんな物語も、その根底には「愛」があります。
つまり、人間とは、あるいは生命とは、「愛」の現象なのです。
だからこそ、スターンバーグがいうように、「愛とは物語」でなければいけないのです。
明日は、最後に何を話しましょうか。
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