■節子への挽歌1166:ふたつの物語
節子
この挽歌では、節子がいなくなってからの「おろおろした自分」を素直に書いています。
おろおろどころか、いつまでも立ち直れずに、くよくよと繰言を述べているので、お前にはがっかりだよという人もいるでしょう。
仕事を頼みたくても、この人は大丈夫だろうかと思って頼む気にはならないでしょう。
最近は寄りつかなくなった人もいます。
しかし、これが私の実態ですから、隠しようもありません。
先日、自殺関連のフォーラムを開催しました。
参加者から、後日、間接的に聞いた自死遺族の方の話が心に残ります。
詳しくはお聴きしていませんが、その方は、家族の自死後も近隣の人たちに対して、何ごともなかったように凛として生きているそうです。
しかし、それは表面的なことで、がんばっている自分を演じているのです。
だから、同じ境遇の遺族の方たちと会をつくっています。
そこでは本当に自分をさらけだせるのだそうです。
彼女にとっては、そういう場だけが素直に自分を生きられる場なのかもしれません。
なぜそうなったかといえば、やはり最初にがんばってしまったからです。
家族の死にもめげずにがんばっている健気な人、彼女はその物語を生きているのです。
それが悪いわけではありません。
人によっては、そうした「物語」があればこそ、生きていられる人もいるからです。
私は全く別の生き方をしています。
節子を見送って、立ち続けられないほどに「おろおろ」「なよなよ」「くよくよ」してしまい、それを隠す余裕さえなかったのです。
最初にそうした「ダメさ加減を」を露呈してしまえば、途中から見栄を張ることなどできません。
それまでの私の「物語」は音を立てて崩れてしまい、私は新しい物語を創りださなければならなくなったのです。
私にとっては、まさにそれが「ナラティブ・セラピー」になっているわけです。
物語を演ずるか、物語を物語るか、ふたつの生き方があります。
私の性格もあるのかもしれませんが、後者の生き方がとても楽なような気がします。
その、がんばっている遺族の方に、おろおろする生き方を勧めたい気もしますが、それこそきっと余計なお世話なのでしょうね。
でもとても気になります。
物語を演じていると、いつか疲れるのではないかと心配です。
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