■「性別:男性 女性」
先日、イベントの参加者に意見を書いてもらうための様式を検討していた時に体験したことです。
属性欄に「性別:男性 女性」と書いておいたのですが、ある人が、男性と女性と二者択一にするのはよくないというのです。
私も属性欄はできるだけ自由に書いてもらうのがいいという意見の持ち主ですが、そういわれるまで性別は男女としか考えていませんでした。
言われて見れば、男性と女性のどちらかを選択させることはある意味での暴力性をもっていることに気づきました。
頭では世界の多様さを理解しているつもりでも、やはり実際には伝統的な発想に呪縛されているのです。
学習する組織という、新しい組織論を打ち出したピーター・センゲは友人との共著「プレゼンス」(邦題「出現する未来」)で、新鮮な目で見ることは、習慣的な考え方や見方をやめることからはじまると書いています。
しかし、習慣的な考えを保留すると生きていくために大きなエネルギーが必要になります。
習慣とは、人を生きやすくするための制度だからです。
ですから人は本来的に習慣や文化に従うように仕組まれています。
私の生き方のパラダイムは、かなり習慣から逸脱していると思っていますが、基本的には相変わらずの世界に浸りきっていることを思い知らされたわけです。
結局、「性別: 」と白紙にしたのですが、後で考えてみると、なぜ性別を訊く必要があるのかという気がしてきました。
まだまだ私の発想は自由になっていないようです。
もう20日以上前の体験ですが、頭から離れないので書いてしまいました。
| 固定リンク
「無駄話」カテゴリの記事
- ■養生宣言(2024.06.17)
- ■シャーロックにはなれそうもありません(2024.04.05)
- ■今年読んだ本のベスト10(2023.12.31)
- ■『刑事モース〜オックスフォード事件簿〜』がついに終わりまし■(2023.08.27)
- ■新羅と秦族と六郷満山文化(2023.07.26)
コメント