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2010/11/13

■節子への挽歌1168:伴侶の存在の意味

節子
昨年、活動を再開して以来、さまざまな新しい出会いがありました。
さまざまな新しい活動、さまざまな新しい事件、いろいろありました。
時にワクワクするような話もあり、時に悲しい話もありました。
しかし、どうも以前と何かが違うような気がしてなりません。
世界が「平板」になってきているような気がするのです。
その理由に、最近少し気づきだしています。

伴侶の存在の意味は、もしかしたら世界を立体的に見るためなのかもしれません。
人間は2つの目を持っているおかげで、世界が立体的に見えるといわれます。
しかし最近話題の3D映画でわかるように、立体的に見えるのは目がふたつあるからではありません。
対象もまた立体的な仕組みでなければいけません。
これまでの映画は2つの目でみても必ずしも立体的には見えません。

節子がいた時、私は4つの目で世界を見ていたような気がします。
伴侶の存在は、世界を広げ深めてくれます。
私が見えない世界を、節子は見えるようにしてくれていました。
そのことを、最近強く感じます。
節子がいなくなったために、目が2つになってしまい、世界が平板に感じられるようになってきたのです。

もちろん目だけの話ではありません。
正確に言えば、伴侶である節子の心身は私の心身の一部になっていたのです。
だから喜びも悲しみも、世界の意味も、節子がいなくなってからは全く違うものになってしまったのかもしれません。
節子がいなくなってからしばらくは、この世界がとても居心地が悪く、自分の立脚点がとても不安定だったのは、そのせいだったのかもしれません。

世界が平板になるとどうなるか。
表情が感じられなくなるのです。
あるいは一元的な見え方がしてくるのです。

このことは、最近の世相とどこかでつながっているような気がします。
人にはやはり伴侶(配偶者である必要はありませんが)が必要なのです。
そうしないと、世界はモノカラーの平板な世界になってしまいがちです。

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