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2010/11/01

■「生命の時間」と「時計の時間」

私の好きなテレビ番組の一つに「イタリアの小さな村の物語」というのがあります。
BS日テレの番組ですが、イタリア各地の小さな村が舞台で、毎回、その村で暮らす2人の人が主役です。
昔からの暮らしの文化をまもりながら、家族や地域の隣人たちと一緒に、しっかりと自分を生きている人が主役であることが多いですが、毎回、感ずるのは、「暮らしの豊かさ」です。
豊かさとか幸せとかを考えさせられる、とても感動的な番組なのです。

最近読んだ内山節さんの「共同体の基礎理論」には、欧米の共同体は「人の共同体」であるのに対して、日本の共同体は「自然までも含んだ共同体」だと指摘されています。
私もとても納得できたのですが、この番組を見ていると、自然までも含んだ共同体は日本だけのものではないのではないかという気もします。
いやそれ以上に感ずるのは、家族や隣人を大切にする暮らしの文化が、イタリアには日本以上にあるのではないかということです。
ということは、イタリアのみならず、きっとどこにもあるということです。

私は海外で暮らしたことがありません。
ですから、そうしたことに関しては、体験的に知っているわけではありませんので、判断がつきかねています。
しかし、この問題は空間軸で考えるのではなく、時間軸で考えるのがいいと思い出しました。
言い換えれば、日本では壊されてしまったものが、まだイタリアにはあるということです。
なぜ日本では失われ、イタリアには残っているのか。
おそらくそれは「生命(自然)の時間」と「時計の時間」の、どちらを生活の基準にするかが影響しているように思います。

「イタリアの小さな村の物語」に出てくる登場人物の多くは、自然、つまり生命の時間の中で生きています。
今日放映された番組で紹介されていた2人は、いずれも農牧を営む家族の人でした。
自らの生き方を大事にして、驚くほどゆっくりと「自分たちを生きている」人たちなのです。
生活の積み重ねが文化を育てていくというのがとてもよくわかります。
工業時間で速成されるような、きらびやかかもしれませんが退屈な文化ではないのです。

私たちは、基準とすべき時間を間違ってしまっているのかもしれない、といつも思いながら見ています。
すくなくとも暮らしにおいては、時計の時間は忘れたいものです。

私は大学生の時から時計を持つのをやめています。
しかしそれから50年近くたちますが、まだ時計の時間から自由になれずにいます。
そのせいか、私はまだ、暮らしに豊かさを実感できずにいます。
中途半端な生き方から抜け出せずにいるわけです。
困ったものです。

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