■話し合いのモデル
昨日、久しぶりに衆議院予算委員会での議論を見ました。
あまりのバカらしさに、30分で辞めました。
同じ質疑が20分以上続いていたのです。
質問するほう(棚橋議員)もバカなら、応えるほう(首相)もバカ以外の何者でもありません。
人をバカよばわりするのはほめられる話ではないですが、バカというしかありません。
サルの議論を聞いているようでした。
国会でのやりとりを見ていて(以前はできるだけ見るようにしていました)、このやりとりを見たら子どもたちはどう思うかなといつも思っていました。
最近の小学校会では、自治会などというのはないのかもしれませんが、私の小学校時代は生徒たちだけで話しあう時間がありました。
その話し合いに比べてさえ、今の国会の話し合いは内容がありません。
話し合いではなく、けなしあいになっているからです。
話し合いは何かを生み出すために行われるべきものです。
その姿勢がほとんどありません。
ただ自己宣伝や相手をこき下ろすだけの発言者もいます。
そんなために私の税金は使ってほしくありません。
大人の話し合いは、子どもの話し合いの模範になるべきだと思っています。
特に国会での議論はそうあるべきだとずっと思っていますが、もしかしたら昨今の子どもたちの話し合いは、この国会議論をモデルにした結果なのかもしれません。
5日に、みんなが安心して暮らせる社会に向けてのワークショップを開催しました。
初めて会った人たちが90分、7~8人に分かれて話し合ってくれました。
最後に各グループから発表してもらいましたが、みんな異口同音に、とても気持ちの良い時間を過ごせ、いろいろなことに気づき、元気がでてきた、と言いました。
主催者としては、とてもうれしい経験でした。
しかし、私にとっては、別にめずらしいことではなく、ワークショップとはそういうものだと思っています。
私のオフィスで、支え合いをテーマにしたサロンを毎月やっています。
誰でも歓迎のサロンです。
時に議論が混乱することもないわけではありませんが、こんなに安心して本音を話し合えるホッとする場は初めてだという人も少なくありません。
こうしたことから、昨今は「気持ちのいい話し合い」「新しい価値が生まれる話し合い」が少なくなっているのかもしれないという気がしています。
話し合いは楽しくなければいけません。
どんなに意見が違って激しいやりとりをしても、です。
その社会(組織)がどんな社会(組織)なのかは、話し合いの姿を見ると見えてきます。
みなさんの周りの話し合いはどうですか。
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