■自然との共生はおごり
昨日、由井英監督の映画「うつし世の静寂に」を見ました。
川崎市の土橋地区に残っている「講」をテーマにした映画ですが、講は仕組みだけではなく、それを生み出しているものを見つめなければ見えてこないと、由井さんは語っていました。
私もいま、仲間に呼びかけて「講」をつくろうと思っていますが、その言葉を聴いて、ハッとしました。
講は作るものではなく、生まれるべくして生まれるものなのです。
それは講に限りません。
すべてのものは、生まれるべくして生まれるのであって、その機が熟していなければ形だけのものになりかねません。
頭ではそのことを意識していたにもかかわらず、最近はそのことを忘れることがよくあります。
他者と関わる仕組みを自分ひとりで作ろうとするのは、おごり以外のなにものでもありません。
反省しなければいけません。
ところで、その映画にとても共感した言葉があります。
「自然との共生はおごりである」ということです。
自然との共生と言う言葉にどうも違和感を持っていたのですが、あまりきちんと考えたことがありませんでした。
でもどこかおかしい言葉だと思っていたのですが、それをこの映画のナレーションはスパッと言い切っています。
共生とは対等の立場の関係を前提としています。
人間と自然は対等な存在ではありませんから、共生などということはありえないわけです。
キリスト教的感覚では「自然との共生」はああるかもしれませんが、その自然観がいま問われだしているのです。
軽々に「自然と共生」などと言ってはいけないのです。
どうすればいいいか。
その映画では、自然に身を委ねるという言葉が使われていました。
それこそが日本の自然観だったように思います。
もちろんそれは自然の暴力に従順に従うということではないでしょう。
かつての百姓たちがやってきたように、自然の中で自然に生きるということでしょう。
それに、自然に身を委ねれれば、自然の暴力などありえないのです。
昨日の挽歌編に書きましたが、この映画は11月19日まで渋谷のユーロスペースで、その後12月3日まで横浜のシネマ・ジャック&ペティで上映しています。
とても示唆に富む映画です。
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