■節子への挽歌1187:無彩色の喪中はがき
年賀欠礼の喪中はがきが届きます。
はがきの文面は事務的なものが多いのですが、この1枚1枚のそれぞれに、さまざまな物語があるのだなとこの頃、よく思います。
私は事務的な喪中はがきを出したことがありません。
いつも自分の文章で、その小さな物語を書いていました。
それを読んだ人から返事をもらったこともあります。
父を見送った時のハガキは、同じ体験をした人を少しだけ元気づけました。
そしてその人からの手紙がまた、私を少し元気づけてくれました。
節子を見送った年の年末には、節子と連名でお手紙を出しました。
いまその文面を読み直してみると、いささかの気恥ずかしさもありますが、その時の私の正直な気持ちだったことは間違いありません。
この数年、私は年賀メールを基本にしたため、年賀状は出してもせいぜいが100通くらいです。
それが定着したせいか、年賀欠礼のハガキも今年は少なくなりました。
薄墨の暗いイメージの喪中ハガキは、どうも好きになれません。
故人への思いを感じさせるには、あまりに感情抑制的です。
何枚かのはがきを見ながら、そしてその奥にある物語への思いを馳せながら、そんな気がしてきました。
死への物語は、確かに悲しくさびしいですが、決して無彩色の世界ではないのです。
喪中のお正月は、それでなくとも寂しいものです。
年賀はともかく、はがきをいただいた方には、年明けに思いを込めた手紙を書こうと思います。
もし身近な人を見送った方が近くにいたら、ぜひ思いを込めたお手紙やメールを出すことを考えてもらえると、私もうれしいです。
余計なお世話ですみません。
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