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2010/12/06

■阿久根市竹原市長失職の無念さ

阿久根市の市長リコールが成立し、竹原さんは失職しました。
記者会見で、竹原さんは「市民の皆さんが、いろんな体験をする機会として前向きに考えたい」と語ったといいます。
まさに「いろんな体験」をしたことでしょう。
その言葉に、竹原さんの思いを感じます。

私は当初、竹原さんのやり方に傲慢さを感じていましたが、報道情報をきちんと読んだり観たりしているうちに、共感を覚えだしました。
名古屋の河村さんと同じく、まさに現れるべくして現れた人だと思います。
その河村さんも住民投票の署名運動で破れました。
そして市長を辞任し、多くの人の批判を受けています。
私は自認も含めてとても共感しています。
いずれの敗北の陰に、片山総務大臣の影を感じます。
片山さんにはいろんな意味で失望しました。

今回の事件も名古屋の事件も、さまざまな利権が動いているでしょう。
阿久根出身の人から少しお聴きしたところでは、経済活動をしている人は竹原不支持、弱い生活者は竹原支持の傾向があるようです。
もっとも一人だけからの話なので、たぶんにその人の価値観が含まれているでしょう。
しかし、生活という現場から考えていけば、竹原路線、河村路線、そして大阪の橋下路線になるはずです。

私たちは社会の常識の中で、できるだけ自分での思考をしないですむように生きています。
それは決して悪いことではありません。
すべての事象において、考えながら生きていたら、こんな長生きはできないでしょう。
朝起きたら顔を洗う、食事は3回、お店の商品はお金を払わないと自分のものにならない、こうしたことまで毎回自分で考えていたら身が持ちません。
しかし、そうした常識の中には危ういものもあります。
お上には異を唱えない、教育は学校で受けるもの、小さな自治体にも国と同じく有給の議員が必要だ、大学を卒業した人は賢く高給がとれる、専門家という人の言うことは正しい、こういう「常識」は私には大きな違和感があります。

話がずれそうですね。
話題は阿久根市でした。
阿久根市では1月に市長選挙がありますが、おそらくまた竹原さんが当選するでしょう。
竹原さんがやる気がなくなったり(なくなってもおかしくはありません)、竹原さんでは困る市外の人たちがお金をばらまかなければの話ですが。

この事件は決して阿久根市だけの話ではありません。
河村さんも言っているように、基本的に日本の統治構造が問われているのです。
竹原さんがもう少し戦略的に立ち向かえば、その真意はもう少しきちんと伝わったでしょうが、彼の言動はあまりに素直すぎるのかもしれません。
しかし、竹原さんが諦めないで活動を続けていくことを願っています。

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