■節子への挽歌1199:柳原和子さんに何かあったのでしょうか
この挽歌へのアクセスが今日はなぜかとても多いのです。
驚いて調べてみたら、「柳原和子」で検索してアクセスしている人が多いのです。
柳原さんに関して、今日、何かあったのでしょうか。
柳原さんにはとても思い出があります。
私は面識がないのですが、このブログが縁で、柳原さんからメールをもらい、柳原さんのライターではない心の揺れに触れさせてもらったのです。
節子のがんが発見される前から、柳原さんの「がん患者学」には共感を持っていました。
そして節子のがんが発見されてからは、それがさらに痛いほどにわかるような気がしてきました。
テレビで時々見る柳原さんは、いつも元気で強く見えました。
一緒にテレビを観ていた節子は、柳原さんの強さに、自分とは違う人だわ、と言っていました。
たしかに、私もそう感じていました。
でも個人的にもらうメールは、節子よりも弱々しく、さびしそうでした。
節子もそれを読んで親しみを感じたようでした。
もし節子が元気になったら、いつか柳原さんともお会いできそうだと思っていましたが、2人ともいなくなってしまいました。
柳原さんの訃報を知ったのは、節子が逝ってから半年ちかくたってからでした。
その頃は、私自身がまだ生を実感できずにいた頃です。
柳原さんから頼まれたことがありますが、それに取り組む気力はありません。
これからも取り組むことはないでしょう。
それに、柳原さんの「がん患者学」は結局、最後まで読めませんでした。
柳原さんがまだ元気だった頃、何回も読み出すのだがいつも途中で読めなくなります、とメールしたら、柳原さんから、そうですよね、読めませんよね、と返事がありました。
その言葉に、改めて柳原さんの哀しさを感じた記憶があります。
ところで、今日は柳原さんがなにか話題になったのでしょうか。
まさか現世に戻ってきたのではないでしょうね。
柳原さんが戻ってきたのであれば、節子も戻ってくるかもしれません。
そうであればうれしいのですが。
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