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2010/12/26

■言語が通じない苛立ち

最近、どうも私の言語が周りの人には通じていない「苛立ち」を強く感じます。
もしかしたら、住んでいる世界が違うのではないかとさえ、思うことがあるほどです。
そんなこんなで、今日はまたいろんな人に八つ当たりしてしまいました。
困ったものです。

私のホームページには私が昔書いた小論が一部載っています。
それを読んだ人から、こんな時期にこんなことを書いていたとは驚きましたと言われることが時々あります。
一昨日、お会いした人からもそう言われました。
私はついつい「褒め言葉」と受け止めてしまいますが、それは時代に合わないピントはずれの意見でしたね、ということでもあります。
早ければいいわけではないからです。
早すぎる論説は、単に間違った論説でしかないのです。

どうも私の世界観はずれています。
時間軸が違っているのかもしれません。
それは学生の頃からでした。
そのずれを時々面白がってくれる人はいますが、社会性はないというべきでしょう。
事実、私は何も成すことなく、自分の小さな世界から抜けられずにいます。

先週、地元住民のある会で、友人が講演をしました。
その話を聞いた聴衆の一人が、カタカナが多くて理解できなかったと発言しました。
同調する人もいましたが、友人の話は、カタカナは決して多くはなかったのです。
目新しい言葉は「コモンズ」くらいだったでしょうか。
要するにその人は、最初から理解する気がないのです。
そんな人には講演を聴く資格はないと私は思いますが、そういう身勝手なボケ老人ほど、自らが賢いと思っている傾向があります。
わからない言葉があったら質問すればいいだけの話ですが、理解する気がないですから、質問せずに「いい訳」をするだけなのです。
なんと傲慢なことでしょう。
そうした人を見ると蹴飛ばしたくなりますが、蹴飛ばしたらすぐ転んで怪我をするでしょうから蹴飛ばすこともできません。
知性のない人は体力もないのが普通です。
困ったものです。

何を書いているのか、だんだん荒れてきてしまいました。
そろそろ私も、身勝手なボケ老人になってきているのかもしれません。
蹴飛ばされても怪我をしないように、足腰を鍛えておかなければいけません。
しかし、最近は、知性も体力もあまり自信がありません。
いやはや、困ったものです。

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