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2010/12/19

■節子への挽歌1204:節子はいい先生でした

節子
今年も残すところ10日ほどになりました。
いつもこの頃は、節子が和室で年賀状を書いていたのを思い出します。
節子は一枚一枚、ていねいに書いていました。
年賀状を印刷してしまう私のやり方には否定的でした。
大変そうなので、せめて宛先だけでも印刷したらと提案しても、頑として受け付けませんでした。
節子は、手書きでなければ心が伝わらないといつも話していました。
相手のことを思いながらゆっくりと書くことが大切だと言うのです。
たしかに、ゆっくりでした。
ですから節子の年賀状書きは数日にわたっていました。
でも書いている時の節子は幸せそうでした。
今もその様子がはっきりと思い出せます。

むかしは私もそうでした。
年賀状が300枚くらいまでは節子と同じように1枚ずつ書いていました。
当時は節子と一緒に、版画やプリントごっこで、手づくり感も楽しんでいました。
しかしいつの間にか私は印刷型になってしまいました。
もちろん文章は毎年それなりに思いを込めましたが、1000枚を超えるとどうしても心は入れにくくなります。
節子と並んで年賀状を書いていると、節子が1枚仕上げる間に私は数十枚を仕上げていました。
私がやったのは、相手を思い出しながら1~2行の言葉を添えるだけでしたから。

節子は、そうした私のやり方には批判的でした。
そんな年賀状は出す意味がないとは言いませんでしたが、否定的でした。
今にして思えば、節子のやり方に見習うべきでした。
節子は、年賀状を書きながら、相手の人と心を通わせ合っていたのです。
この挽歌を書きだしてから、心を通わせながら文章を書くことの意味が少しわかってきました。
節子にとっては、そんなことなど当然のことだったのでしょう。

節子は私からたくさんのことを学びました。
修さんからいろんなことを教えてもらったと、よく話していました。
しかしそんな知識は瑣末なことなのです。
私が節子から学んだことは、本質的なことでした。
それに気づくのが少し遅すぎました。
どれほどたくさんのことを節子から学んだでしょうか。
最近ようやくそのことがわかってきました。

節子は私にとって、ほんとうにいい先生でした。

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