■節子への挽歌1203:現世とは違う世界への通路があるのかもしれません
節子
手帳が見当たりません。
昨日、帰宅して、少したってから、手帳がないのに気づきました。
直前に居た場所(そこで手帳を使いました)、みんなで探してもらいましたが、ありません。
手帳には予定が書かれているので、とても困っています。
ちょうど新しい年度に切り替えの途中だったの、私の名前も書いていませんから、もし道で落としたのであれば、拾った人も届けようがありません。
しかし、どう考えても、途中で落とす可能性はないのです。
実は帰宅してジャケットから手帳を引き出した感触が、手に残っています。
ですから家の中のどこかにあるのではないかと思えてなりません。
さほど広い家ではないので、ありそうな場所も、ありそうでない場所も含めて、何回も未練がましく探しました。
冷蔵庫の中まで探しました。
しかしありません。
昨夜、真夜中に目が覚めて、また手帳の感覚を思い出しました。
帰宅した時に手帳を持った感触がはっきりとあるのです。
にもかかわらず、なぜないのか。
朝、起きてまた徹底的に探しましたが、見つかりません。
どうしても「あきらめ」がつきません。
時々、節子が家にいるのではないかという気がすることがあります。
声をかけたり、探したりすることさえあります。
手帳を探しながら、そのことを思い出しました。
もしかしたらわが家のどこかに空間のひずみがあって、現世とは違う世界への通路があるのかもしれません。
手帳はもしかしたら、その穴に落ちてしまったのかもしれません。
どう考えても、あるはずのものがないのですから。
その通路が見つかったら、もしかしたら私も彼岸にいけるかもしれません。
あるいは節子が現世にやってくるかもしれません。
この年末の大掃除には、その通路を探すこともめざしたいと思います。
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