■節子への挽歌1192:消された記憶
節子
節子の葬儀にどなたが来てくれたのかどうか、覚えていない自分に気がつきました。
気づかせてくれたのは、ホスピタルアートの活動に取り組んでいる高橋雅子さんです。
高橋さんから一昨年の年末、毎年の活動報告のお手紙をもらいました。
そこにご両親を見送ったことが手書きで書かれていました。
昨年より、末期がんの父の介護が中心の生活でしたが、その父が亡くなり、続いて1か月後に母が心筋梗塞で急死してしまいました。淡々とした短い文章ですが、そこに高橋さんの深い思いをなぜか感じました。
返事を書かなければ、と思いながら、どうしても書けませんでした。
妻を見送ったことを書いてしまうような気がしたからです。
書いて悪い理由はないのですが、なぜか書いてはいけないような気がしたのです。
彼女は私が妻を見送ったことを知らないだろうと思いこんでもいたのです。
高橋さんからの手紙はいつも机の上に置いたままでした。
しかし返事を書けないまま、1年が過ぎ、2年が過ぎようとしていた時、彼女がメーリングリストである案内を送ってきてくれました。
元気にご活躍されているようでした。
そのメールを見て、ようやく高橋さんにメールを書きました。
昨日、返信が来ました。
佐藤さんの奥さまのご葬儀に伺った際、高橋さんは葬儀に来てくださっていたのです。
佐藤さんが話してくださった奥さまとの最後の日々のお話。
お花が大好きでいらした奥さまのお話。
そして「妻は私の生きる意味でした」というお言葉。
本当にいたたまれない気持ちで失礼してきたことを覚えています。
このあと、佐藤さんは一体どうされてしまうのだろう?と
不安にさえもなりました。
でも反面、これほどの深い愛情で結ばれたご夫婦というのは
何としあわせなのだろうか?とも思いました。
そして私の話まで聴いていた。
驚きました。
あわてて3年前の葬儀の名簿を見てみました。
たしかに高橋さんのお名前がありました。
いえ、高橋さんだけではありません。
私の記憶にない、いろいろな名前が出てきました。
なぜか私の記憶からすっぽりと抜けていたのです。
その理由がよくわからず、この2日間、頭が混乱していました。
今日、ある会のことを友人たちと話していたのですが、それがあったのが5年前だと友人たちはいうのです。
私には3年前くらいに感じていましたが、言われてみるとたしかに5年前でした。
その会からあるプロジェクトが始まっているのですが、節子を見送った前後の1年が私の頭の中から抜けているような時間感覚になっているのです。
5年前の話は3年前に感ずるわけです。
私の記憶の中で、時間の組み替えや記憶の消去が進んでいるのかもしれません。
まだなんとなく頭がすっきりせずに、不思議な気がしています。
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