■節子への挽歌1200:節子がいない不幸
節子
今日は我孫子駅前の花壇を育てている花かご会の今年最後の作業日でした。
そこで、今度、市長選に立候補した坂巻さん をみんなに紹介したくて、一緒に挨拶に行きました。
坂巻さんは園芸学部出身で、花を活かしたまちづくりにも関心をお持ちなのです。
みんなとてもあたたかく迎えてくれました。
これも節子のおかげかもしれません。
花かご会に紹介する前に、自治会のみなさんにも応援してもらおうと、みなさんのご自宅を一軒一軒まわりました。
節子がいたらもっとうまく引き回せたでしょうが、それでもまあこの地区は近所づきあいもあるので、なんとかお引き回しできました。
それでもなんで私が坂巻さんをお連れしたのかちょっと戸惑われたかもしれません。
節子がいたらもっと効果的だったでしょうね。
夫婦には、それぞれの役割分担があるような気がします。
男女共同参画だとかジェンダー問題とか、いろいろな議論がありますが、私自身は夫婦の役割分担に大きな価値を感じます。
もちろん役割を固定させる必要はなく、夫婦によっては反対の役割分担関係になってもいいと思いますが、異性での役割分担で小さな社会をつくりだすという夫婦あるいは家族の仕組みは人が発明した最大の知恵のような気がします。
いまもよく、節子がいたらいいのにと思うことはよくあります。
近隣で付き合うにも、地域活動するにも、あるいは社会活動をするにも、一人だといろいろとハンディを感じます。
もちろん、単身の暮らしで活動している人もいるわけです。
そうした人に対しては、私のこうした考えは甘えかもしれません。
しかし、節子と一緒の生活と、いなくなって一人での生活を比べてみると、両者はいろんな意味で全くといっていいほど違います。
効果も効率も、2人単位での生活が抜群にいいのです。
でもこれは私たちの場合だけかもしれません。
夫婦が相互に力を削ぎ合っているような場合もないわけではないでしょう。
私たちには、とても考えられないのですが、そういう夫婦もあるようです。
そう考えていくと、私たちは実に幸せな夫婦だったのです。
しかし、それはいざ片方がいなくなった時には、実に不幸な夫婦になってしまうわけです。
神様は実に公平なのです。
大きな幸せは大きな不幸できちんとバランスするようにしているのですから。
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