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2010/12/11

■節子への挽歌1196:物とは無縁の生

節子
クリスマス商戦もはじまり、世の中は少し賑わいでいるような気がします。
不景気といいながらも、テレビは消費をあおっています。
我孫子ではなかなか実感できませんが、たまに都心を歩くと、なにやら華やかな感じです。

先日、有楽町を歩きながら、そういえば、この数年、これといった買物をしたことがないことに気づきました。
もちろん毎日の食材や日常着などは娘と一緒に買物に行くことはありますが、必需品ではないものに関しては、もう4年以上、買物をしていない気がします。
それは当然といえば当然のことで、私は一人で買物に行くことはこれまで皆無だったのです。
いつも節子と一緒でした。
それに、買物に行っても外食をしても、お金を払うのはいつも節子でしたから、私には財布は不要だったのです。
お金を出してくれる節子がいない今、買物ができないのは当然のことなのです。

しかし、買物をしない理由はそれだけではありません。
物欲というほど大げさではありませんが、何かが欲しいということがほとんどなくなったのです。
物への興味がなくなったのです。
収集していたフクロウの置物も、以前は節子に反対されても買っていましたが、いまは収集の意欲もありません。
魅力的なフクロウを見ても、欲しいという気がしないのです。

物だけではありません。
旅行も興味を失い、外食は全く興味なく、観劇やコンサートも誘われても行く気が起きません。
欲がなくなったわけではありませんが、心身が動かないのです。

彼岸が近づいているということと関係しているのかもしれません。
物質的な財産は彼岸へは持ち込めません。
体験はおそらく彼岸では無意味でしょう。
ですから今の私にはいずれも意味がないのです。
財産も体験も、節子がいたからこそ、私には意味がありました。
これは理屈ではありません。
なぜそうなのかは、自分でもわかりません。
しかし、間違いなく、それが実感なのです。

これが行き過ぎると、「生きること」さえ意味を失うのかもしれません。
しかし、生きることには、俗世的な意味とは別の次元で、深い意味があります。
最近は、このことがとてもよくわかってきました。

物とは無縁の生。
まだ十分に言葉では語れませんが、いつか書けるかもしれません。

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妻への挽歌06」カテゴリの記事

コメント

2回目の投稿です。夜分に申し訳ありません。
 毎日、読ませていただいております。本当によくわかります。大事な人を亡くすという事はこれほどにも辛い事だと、つくづく思います。
 私は、難しい事はわかりませんが、生きる意欲、気力は大事な人が亡くなっても持ち続けていきたいと思います。以前、生きる気力が無くなってぼんやりしていました。そんな時、お寺さんから~生きていかなければいけないんですよ~と言われました。しっかり生きて、しっかり死ぬんですと。
 何をしても虚しく、何を食べても味気なく、でも、いつも亡き主人に話しかけます。
音楽聴いても、映画を観ても、何か感じます。主人が教えてくれています。だから、あえて行動します。…失礼いたしました。私の事ばかり書いてしまいました。
 意欲~ここに節子さんに書かれている事は、私達にも心打たれる事ばかりです。見知らぬ者にも、心響くのです。力いただいています。大きな力・心です。
お花を見ても、何をしても節子さんへの想いが湧いてくると思います。それを読ませていただく事が、優しい心に触れて私も嬉しいのです。1度目にも書いてしまいましたが、この国のどこかに、あなた様の節子さんへの心に触れて、共感している者がおります。どうか、意欲を出してください。お願いします。私も、亡き主人への想いを大事に生きていきたいと思います。少し、混乱しました。申し訳ありませんでした。
                                   ゆりね

投稿: ゆりね | 2010/12/11 23:41

ゆりねさん
ありがとうございます。

返事が遅れました。
最近何かとバタバタしてしまっています。
意欲がないのにバタバタするほど何かをやっていると言うと、人はおかしく思うでしょうが、意欲がないからこそ、何かをやらないと後ろに言ってしまいそうなのです。

ゆりねさんが書いているように、私も時々混乱して、話していることも書いていることもおかしくなることがあります。
しかしそれは仕方がないことです。

ユリ根さんは、意欲は出てきましたか。
まあ無理に出すこともないですよね。

またコメントください。
コメントは元気をくれます。

投稿: 佐藤修 | 2010/12/21 17:01

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