■節子への挽歌1197:解けない難問
節子
最近、余裕がなくなってきました。
節子がいたらSOSを出していたでしょう。
自分の能力を超えて、いろんなことに関わりすぎています。
そのためゆっくりする時間がないのです。
昨日、心身が動かないと書きました。
心身が動かないのになんでそんなにいろんなことを引き受けて、時間破産になっているのか、奇妙に思う人もいるでしょう。
しかし、それは矛盾してはいないのです。
心身が動かないからこそ、何かをやっていないと全く動けなくなりそうなのです。
何かをやっている時には、たしかに心身は動くのです。
でも動かないものがある。
魂です。
今日、毎月やっている、ささえあいの交流会を行いました。
自殺未遂サバイバーを自称する吉田銀一郎さんが参加されました。
彼は自殺から立ち直った後、自らの使命感に突き動かされて、いろいろ活動をはじめました。
辛い中から、吉田さんは自らの魂にぶつかったのが立ち直りの契機だったようです。
そして動き出したのですが、魂の呪縛からまだ抜けられずにいるように思います。
それを少しずつ解きほぐしていかないといけない、などと私は偉そうに吉田さんを諭します。
ところが自らはどうでしょう。
明らかに吉田さん以上に魂が止まっている。
そんな気がします。
やはり自分のことが一番見えていないのです。
しかし最近は少し動きすぎかもしれません。
節子の残した庭の花木をゆっくりと見る余裕もないのですから。
時間の余裕ではありません。精神の余裕です。
誰かの問題に関わっていると気が休まるのですが、その問題から放れるとどさっと虚しさが押し寄せてきます。
この虚しさは一体なんなのでしょうか。
節子がいたら、いとも簡単に解いてくれるでしょう。
いつもそうでしたから。
しかし皮肉なことに、今回はその虚しさの源が節子の不在なのです。
それをどう解けばいいのか。
まさに解けない難問です。
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