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2010/12/30

■因果のベクトル

一昨日、今年最後のオープンサロンを開催しました。
いろんなことが話題になりましたが、幸せ論もテーマのひとつでした。
ある人が、経済水準の高い先進国ほど不満が多いという調査結果もあるという話をしてくれました。
30年前に比べて、今の日本は幸せかどうかという議論もありました。

こういう議論を聞いていていつも感ずるのは、みんな思考の枠組に呪縛されていると言うことです。
因果のベクトルが決まっているのです。

例えば、多くの人は経済が発展すれば豊かになると思っています。
経済発展が因で豊かな生活が果です。
しかし現実は逆かもしれません。
豊かでないから経済が発展すると考えたらどうでしょうか。
そう考えれば、経済水準の高い先進国ほど生活の不満が多く、幸せ感のない人が多いのは当然です。
みんなが幸せだったら経済は発展しないでしょう。
だから経済を主導する人たちは、不安や不満を高めようとするのです。
自殺が多いと騒ぐのは、まさにその一つの典型例です。
自殺が多いと騒ぐ方法では、自殺を加速させこそすれ減らしはしないでしょう。
いささか問題発言ですが、私は今の自殺予防キャンペーンには反対です。
私も、自殺のない社会づくりネットワークの活動に関わっているので、仲間から非難されるかもしれませんが、自殺防止と自殺のない社会づくりとは、似ているようで因果のベクトルが違うのです。

貧困大国と言われるアメリカを思い出せばすぐわかりますが、貧困をつくることが経済成長の極意です。

因果のベクトル(方向性)を反転させて考えるといろんなことが見えてきます。
経済が発展するから地球環境が壊れるのか、地球環境を壊すから経済が発展するのかを考えれば、納得してもらえると思います。

平和もそうです。
憎しみの構図があるから平和が維持できないのか、平和を目指すから憎しみの構図が強まるのかも、9.11事件の後の世界を見れば一目瞭然です。

にもかかわらず、多くの人はこれまでの固定的な因果のベクトルで考えています。
そんな発想で世界が見えるわけがありません。
無縁社会や孤族キャンペーンは、恐ろしい毒を秘めています。
そうしたキャンペーンに騙されてはいけません。
そうした言葉を口にしている人たちは、魂を売った哀れなファウストでしかありません。

もっともベクトルは反転させればいいわけではありません。
そもそも単線的な因果構造で発想するのがいいわけではないのです。

もうひとつ悩ましいのは、概念の多様性です。
私は数年前の環境経営提言で、経済と環境のシナジーを出しましたが、その因果のベクトルは要素概念をスパイラルに変質させます。
シナジーを実現するには、経済も環境も概念変化しなければいけません。
つまりベクトルは常に要素概念を巻き込みながらダイナミックに双方向に流れているのです。
このあたりの発想は近代の論理にはありません。
そろそろ近代の知の呪縛から解放されなければいけません。
少なくとも、因果のベクトルを反転させて見るのもいいかもしれません。
それくらいの知性はまだ私たちに残っていると思いたいです。

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