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2011年1月

2011/01/31

■トップの人はどうしても現実に疎くなります

エジプトが大変です。
それに関連して、さまざまな情報がインターネットで駆け巡っています。
そうした情報を読むと、マスコミの報道がいかに偏っていて、遅いかがよくわかります。
テレビで世界の動きを知る私たちが、いかに現実とは違う世界にいるかがよくわかります。
まさにパラレルワールドの出現です。

日本の国際の格下げに関して、菅首相の「疎い」発言が話題になっていますが、情報がもっとも遅く届くのは権力の頂点にいる人かもしれません。
というのは、届くまでに正確さや詳しさを精査するプロセスがありますので、どうしても時間差が生まれるのです。
皮肉なことに、情報は常に動いていますから、実のところ正確さなど期待しようがないのですが、これまでの静態的な情報観に囚われている人にはそれが理解できません。
情報とは本来自己増殖性や情報創出性を持っており、常に自らの姿さえ変えていきますし、仮に事実無根の情報であろうと、その出現が、つまり虚なる情報が実なる現実を生みだすことも少なくないのです。
それがまさに情報社会なのですが、社会がそれを仕組みとして消化するにはもう少し時間が必要でしょう。

チュニジアの事件はツイッターから生じたとも言われていますが、それが事実かどうかはともかく、ツイッターが爆発的な人の動きを起こすという認識が生まれました。
認識が生まれれば、事実は間違いなく起こるでしょう。
エジプトが、その再現になるかどうかはわかりませんが、いまのところ双方がその認識を踏まえて動いているような気がします。

エジプトの現場を見たわけではないので、エジプトでどの程度の暴動的なデモが起こっているかどうか、私には確信は持てませんが、右にも左にも動くマルチチュードの力が感じられます。
それにしても、日本は完全に情報社会から脱落してしまっているような気がします。
日本は情報社会というよりも、情報管理社会と言うべきかもしれません。
トップにとって大切な情報は、管理された情報ななおかもしれません。
つまり宿命的に「情報に疎くなる」のがトップなのです。
パラレルワールドですから、それでなんの不都合も起こりません。
困ったら「事実」を創出すればいいだけの話です。
「消費税も仕方がない」と国民に思わせる事など、そう難しいことではないことは証明済みです。

私もまた、そうした管理された情報の世界で、今日もぬくぬくと安逸を貪っているのですが。
国会審議はあまりにも退屈です。

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■節子への挽歌1247:節子の失踪

娘のジュン夫妻が今朝、イタリアとスペインに出かけました。
それぞれ料理タイルづくりの学びが中心の旅ですが、昨夜遅くなって、ジュンが節子を連れて行くと言い出したのです。
節子とは20年ほど前にスペインに行く予定でしたが、同居していた母の関係で直前に止めてしまったのです。
スペインは歴史豊かなところですので、私も行きたかったところです。
そんなこともあったので、ジュンは節子を連れていこうといい出したのです。

それで気がつきました。
最近、小節子(こせつこ)がいないことに、です。

小節子とは、私といつも一緒にいる節子のことです。
小さな容器(偶然にもスペイン製)に節子の遺灰と心が入っているのですが、それをいつも私は持参していたのです。
ジュンがスペインに同行しようとしたのは、その小節子なのですが、そういえば最近、小節子を持ち歩いていなかったどころか、その存在すら忘れていたのに気づきました。
この数か月ほど、小節子に会った記憶がありません。
慌てて探し出しましたが、どこにもありません。
この半年、着ていた服や使っていたかばんなどを調べましたが、出てきません。
最近の私の仕事部屋はごみ屋敷のように書類や書籍の山ですので、そこに埋もれているかもしれないと思い、引き出しの後ろからすべて探しましたが、見つかりません。
もしどこかに置き忘れてきてしまったとしたら(実は一度ありました)、あまりに長い時間が過ぎているので、もう見つからないでしょう。
それに、見つけた人がヘロインかと思って飲んでしまったら、節子はどうなるのでしょうか。
いやはや困ったものです。
あるいは、節子が怒って、家出してしまったのかもしれません。
半年近くも忘れていたのですから、まあ仕方ありませんが、捜索願も出しかねます。

諦めてパソコンの前に座ったら、なんと目の前のパソコンの画面の下に小節子がいるではないですか。
確か、先ほど探した時にはいなかったはずなのに、もしかしたら、すねた節子が一瞬隠れていたのかもしれません。
いかにも節子らしいです。
節子を見つけたのは夜の11時。
しかし無事、節子はジュンたちと一緒に先ほど成田を発ちました。
節子がとても好きだったフィレンツェとスペインを楽しんでくることでしょう。
私は、そのいずれにも行ったことはないのですが、私の分まで楽しんできてほしいと思います。

しばらく小節子はいませんが、実は中節子(ちゅうせつこ)もいるので、さびしくはないのです。
ジュンたちが、小節子をスペインに置いてこなければいいのです。

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2011/01/30

■節子への挽歌1246:夫婦の距離感

挽歌で、心の寒さを書いたら、少し寒さから抜け出せそうな気がしてきました。
弱みは開かなければいけないというのが、私の生活信条ですが、その効用を改めて実感しました。
弱みは内に押さえ込んでいてはいけません。
弱みは外に見せることで、時に強みに転じるのです。
いつも他の人に言っているのに、それを忘れていました。

27日に挽歌を書いていないので、今日はもうひとつ書くことにします。
挽歌のナンバーは、節子がいなくなってからの日数に合っているのですが、今のままでは1日ずれてしまいますし。

直前の挽歌で、「イタリアの小さな村の物語」に登場する老夫婦たちのお互いの距離感は、とても程よい、と書きました。
そう書きながら、私たち、節子と私の距離感はどうだっただろうかと考えました。

程よくはなかったのです。
間違いなく近すぎました。重なりすぎていたのです。
特に私は、節子にべったりでした。
節子がいないとやっていけないほどに、自らを節子に合わせていました。
節子は時々言ったものです。
私よりも素敵な女性がたくさんいるのに、どうして私とばかり一緒にいたがるの、たまには浮気をしてみたら、と。
節子にとって私はウザったい存在だったかもしれません。

私の節子への距離感は過剰に接近していたと言っていいでしょう。
節子も、仮に少しウザったいと思っていたとしても、それを許していたのですから、私たちはとても「程よい距離感の夫婦」ではなかったのです。
その結果、どうなるか。いや、どうなったのか。
一方がいなくなった時、残されたほうは立ちゆかなくなってしまうのです。
あまりに深くつながっていたが故に、その喪失感は埋めがたいほどに甚大です。
人を愛するのも、ほどほどにしなければいけません。
私たちは、お互いにいささか距離を縮めすぎていたのです。
病気になった後の節子は、それに気づきました。
だからとても心配していたのです。

しかし、夫婦の距離感は、夫婦それぞれです。
意図的に自制したりはできません。
もしかしたら、「イタリアの小さな村の物語」に出てくる夫婦の距離感も、テレビ上に演出されただけの話かもしれません。
程よい距離感の夫婦など、実際には難しいでしょう。
これは私の僻みかもしれませんが、そんな気がします。

それに、もし仮に、私たちが程よさを超えた夫婦だったとしても、悔いはありません。
その余韻が、私の生きる力になっているのですから。
ものごとには必ず裏表があるものです。

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■節子への挽歌1245:寒い日

節子
この頃、とても寒いのです。
寒くて凍えそうなのです。
寒気が日本列島を覆ったことも、その一因ですが、そういう寒さとはちょっと違います。
私の心身に周期的にやってくる寒さです。
凍えそうになって縮こまるのは、身体よりも心です。
だれかに会っているといいのですが、一人になってパソコンに向かうと急に心が冷えてきて、気力が失せていきます。
以前は、パソコンに向かって、「節子」と画面に打ち込むと、自然と次の言葉が出てきて、文章が続いていくのですが、この数日は頭で考えないと書くことが出てきません。
そしてなにやら小難しいことを書きたくなるのです。

気を取り直して、テレビで毎週放映されている「イタリアの小さな村の物語」を見ました。
この番組はとてもあったかいので、私の好きな番組です。
なかなか時間が合わないので、DVDに録画して、時々観ています。
前にも書きましたが、そこによく登場するのがとても仲の良い老夫婦です。
その夫婦の距離感や血縁・地縁とのつながりも、実に程よく、見ていて気持ちが和らぎます。
どんなに仲の良い夫婦が出てきても、嫉妬したことはありません。
ただただ心があたたかくなるのです。

ところが、心が縮んでいるせいか、今日はとても寂しい気持ちがしてしまいました。
この番組は節子と一緒に観る番組だったという思いが起こってきてしまったのです。
そうなると、もう見つづけることができません。
いつもと違って、心は和らぐどころか、ますます冷え込んでしまいました。

まあ、こういうこともあるでしょう。
元気になったようでも、やはりまだ、心は安定していないようです。
彼岸が見え過ぎてしまったせいでしょうか。

ともかくこの数日、とても寒いのです。
節子に何かなければいいのですが。
まあ此岸の私が心配するのもおかしな話ですが。

そういえば、4日前からチビ太も夜、意味もなく鳴きつづけることがあります。
東のほうを見ながら、暗闇で鳴いています。
彼岸は西方のはずなのですが。

いつもは私のまわりは、いつもあたたかさに囲まれているのですが、
今日はことさら寒いです。
あたためてくれる節子は、もういません。
寒さを自分で跳ね返すしかありません。

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2011/01/29

■節子への挽歌1244:ラスコーの壁画

フランス南西部のラスコーの壁画といえば、学校の教科書にも出てくる有名な先史時代の遺跡です。
1万5千年前にクロマニヨン人が壁に描いたものだとされています。
発見されたのは1940年頃です。
一時は観光客にも開放されていましたが、壁画の外傷と損傷を防ぐため、50年ほど前に洞窟は閉鎖されました。
代わりに、そのすぐ近くに実物そっくりの洞窟壁画が作られているそうです。
そして、今はそこが観光客に開放されています。

そのことを私はある本で読んだのですが、その本によれば、それがコピーであることはどこにも掲示されていないので、ほとんどの人がコピーであるとは思いもしないというのです。
もし知っていても、実際に見ている時には、そんな事を意識もしないでしょう。
私も以前、家族と一緒に、飛鳥の高松塚古墳の壁画を見たことがありますが、私も節子も、それがコピーであるかどうかなどは気にしませんでした。
完璧なコピーだからです。
時間が少し経てば、コピーと本物の差は誰にもわからなくなるでしょう。

こんなことを書いたのは、昨日書いた「現実は現実なのか」という話に触発されたからです。
あの記事を書いた後、急に映画「ソラリス」を思い出したのです。
「ソラリス」のことは前にも書きましたが、ポーランドのスタニスワフ・レムの小説『ソラリスの陽のもとに』が映画化されたものです。
この小説は2回、映画化されていますが、今回思い出したのは、2作目のアメリカ映画のほうです。

惑星ソラリスの表面全体を覆う知性を持つ「海」とその探査に取り組む人間との奇妙なコミュニケーションがその映画の内容なのですが、ソラリスに新たに赴任した科学者クリスが、驚くべき出来事に直面するというところから映画は始まります。
その出来事とは、自殺した妻が突然に現れるのです。
それは、「ソラリスの海」が、クリスの記憶を読み取り、それを再合成して送り出してきたものなのです。
ですからクリスにとっては、理想化された妻でもあるわけです。
記憶から合成されたものですから、いくら消そうと思っても消えません。
アメリカの作品は、クリスとその「妻もどき」との関係はかなりの軸になっています。

そもそもこの映画のテーマは「コミュニケーション」であり、「意思疎通できない生命体と人間とのコミュニケーション、もしくはややこしい関係」なのですが、そうした極めて思弁的なテーマを、極めて生々しい愛の関係に絡めて物語を展開するのは、いかにもアメリカ的です。
実はレムの原作にはそんなややこしい話は出てこなかったように思います。
私がこの原作を読んだのは、節子にちょうど会った頃です。
SFマガジンという雑誌に翻訳が連載されていたのです。
知性を持つ海の話は、節子に何回もしましたが、なかなか興味を持ってはもらえませんでした。
当時の節子は、まだ頭の固い常識人だったのです。

挽歌90で、ソラリスのことを少し書いたことがあります
その時は、亡くなった妻との再会を結局は拒否してしまうクリスと違って、私は再現された節子との世界に埋没してしまうだろうと書きました。
同時に、しかし、「想念」が創りだした節子と実在した節子とは別人であり、それは節子への裏切り行為でしかない、とも書きました。

考えが変わりました。
ラスコーの話を知って、コピーと本物が結局は同じなのだと思うようになりました。
差別化しているのは、お金儲けの商業主義者か権威にしがみつく権威主義者です。
生活しているものにとっては、どちらでも同じです。
そう考えるようになったのは、もしかしたらボードリヤールの影響かもしれません。
ラスコーの話を知ったのは、ボードリヤールの最後の著作の「悪の知性」なのです。

その本でボードリヤールはこう問いかけています。
「コピーがコピーであることをやめたとき、オリジナルはいったいどうなるのだろうか」
答は明確です。
コピーがコピーであることをやめたとき、オリジナルもコピーもなくなるのです。
つまり、実体化された節子は、実在していた節子とまさに同じものなのです。

彼岸がまた少し見えた気がします。

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■視点を変える

視点を変えると世界は違って見えてきます。
同じ事件も、加害者と被害者とではまったく違って見えるでしょう。
今その両方を経験した人と話していたのですが、その人がつくづくとそういったのです。

政府の借金は1000兆円に近づいていると盛んに言われます。
しかし、その政府にお金を貸しているのはだれでしょうか。
そのほとんどは日本の個人や法人だろうと思います。
そしてそうした債権者は、お金を貸していることで利子などの形で、いわば「不労所得」として、どんどんその金額を増やしているのです。
視点を借金ではなく、債権に移せば、1000兆円に達しようとしている資産家が日本にいると言うわけです。

政府と国家の関係はどう考えるべきかは、意見が分かれるでしょうが、君主国家でも軍事政府でもない、国民主権国家、国民主権政府であれば、債権と債務のかなりの部分は帳消しにできる関係ともいえます。
例えば家庭を考えてみましょう。
親から借りている子どもの借金、子どもに貸している親の債権。それがどのくらい多くなろうと、家族と言う単位で考えると帳消しになるでしょう。
国民を家族と同じには扱えませんが、せめて利子をゼロにするだけも、状況は変わるでしょう。
かなり粗雑な議論ですが、借り手から貸し手に視点を変えると状況は違って見えてきます。

円高はどうでしょうか。
これも視点によって評価は反転します。
こうした事例はすべてのことに当てはまります。
しかし報道はどちらかに視点を置いている場合が多いです。
どちらに視点を置くかはかなり明確ですが、報道の裏には必ず別の評価があることを認識しておかねばいけません。
私たちは、このことをついつい忘れがちです。

悪い情報には必ず良い情報が含まれているのです。
どのくらいそう思えるかどうかが、もしかしたら「社会性」ということなのかもしれません。
そして、それこそが「コミュニケーション」の基盤かもしれません。

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2011/01/28

■節子への挽歌1243:現実を容易に受け入れないのは現実が存在しないからだ

節子
湯島のオフィスでの来客の合間に、突然に空き時間があることがあります。
先ほどから一人なのですが、湯島のオフィスで一人になる機会はそう多くはありません。
誰かに会うためにオフィスに来ることが多いからです。
それに一人になると、ついつい物思いに沈みがちです。
気がつくとただボーっと外を見ていることもあります。
そういえば、昨日は挽歌を書いていないことに気づきました。
昨日は何をしていたのでしょうか。
時間はあったはずですが。

こうやって湯島から外をボーっと見ていると、そばに節子がいるような気がします。
笑われそうですが、実はまだ節子がいない世界を生きているという実感はないのです。
同じ立場の人には、たぶんわかってもらえるでしょうが、今にも節子が隣から声をかけてくるような気がどうしてもするのです。
また会えますよ、といってくれる人の言葉に、奇妙に真実味を感じるのです。
私には、節子がいない世界などありようがないのです。

ブラジルの作家、ボルヘスはこう書いています。
「われわれが現実を容易に受け入れないのは、現実が存在しないことを予感しているからにすぎない」

この言葉に時々すがりたくなるのです。
現実を受け入れらないのであれば、その現実は存在しない。
なんと快い響きでしょう。
節子のいない現実は存在しないのです。
いつか必ず節子が戻ってくる。
愛する人を失った者は、哀れにもそう信じているのです。
そう信ずればこそ、生きていけるのかもしれません。

もちろんボルヘスは、そんなことは言っていません。
それを勝手に誤解しているのは私ですが、私の誤解にも僅かばかしの真実はあるような気もします。
それに、ボルヘスもたぶん認めるであろうように、現実の世界は一義的に存在するわけではありません。
現実は誰かが勝手に構成して創られた「客観的に実在する」ものでもありません。
私たちが現実だと思っている世界が、現実であるとは限りませんし、第一、現実などというものがそもそもないのかもしれません。
そう考えれば、節子がいると思いながら生きつづけることは決して間違いではないのです。
少なくとも、節子がいない世界を受け入れるのはやめる価値はあるのです。

空を見ていると、人は哲学者になるのかもしれません。
ボルヘスは私には縁遠い人でしたが、なぜか急に懐かしくなりました。

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2011/01/26

■我孫子市長選挙からの学び

我孫子市の市長選挙が終わりました。
私が応援した候補者は残念ながら当選しませんでした。
ささやかに応援をさせてもらったおかげで、いろいろな事を学ばせてもらいましたが、選挙から2日経って気づいたことがあります。
選挙のどちらかに加担すると判断基準が偏ってしまうということです。
私自身がそうでした。

選挙にまつわること、そこで感じたこと、などを、この時評編でも、私のホームページでも何回か書いてきました。
ホームページには「我孫子市長選コーナー」までつくりました。
いろいろ書いてきましたが、選挙が終わって読み直すと、いささか偏っていることに気づきます。
これを書いた時には、こんなに腹を立てていたのだろうかと思うところもあります。

それで思い出したのが、スピノザの言葉です。
「人類の本質的な敵である憎悪のあとには、悔俊が続く」

選挙は一種の戦いです。
その一方の事務所に顔を出していると、さまざまな情報に触れることができますが、おそらくそれはその陣営の側からの情報ですので偏りがあります。
同じ「事実」も、それを見る立場で全く違ったものになることはよくあることです。
同時に、人間を介した生情報が多いので、そこに感情的な思いまで込められています。
その中にいると、まさにスピノザがいう「憎悪」が心を動かし出します。
憎悪は人に勢いを与えます。
戦いには重要な要素でもあります。
しかし、注意しないと、その勢いは暴走し出すのです。
そして、ある時、悔俊が首を持ち上げだします。
まさに私のこの数日の体験です。
おそらくスピノザも同じ体験をしたのではないかという気がします。

負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、その点では負けたほうが有利です。
謙虚になれる分だけ、世界が豊かになります。
勝者は、注意しないとますます小さな世界に内向し、相手や結果からの学びを忘れます。
この体験を通して感じたのは、選挙制度や政治制度への疑問ですが、
同時に、自分自身の主体性とかアイデンティティの問題です。
はたしてそんなものがあるのか。
あるのは状況主義的なアイデンティティだけではないのか。

フランスの社会学者 ボードリヤールは、スピノザの言葉を紹介した後、
「自己批判と悔俊は統治の様態にさえなりかねない」と書いています。
そうかもしれませんが、いまは思い切り自己批判しようと思っています。
とりわけ「憎悪」の問題をどう考えるかは、私には必要かもしれません。

もうひとつ、大きな教訓を得ました。
戦いには迷いがあってはいけない、ということです。
迷いと民主主義はどうつながるのか、これも刺激的なテーマです。

「憎悪」と「迷い」、この2つを始点にして、政治を考え直したいと思います。

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■NHKは「無縁社会」を推進したいのでしょうか

わたしは、いま、怒っています。
一条真也さんからのメールです。 NHKが[無縁社会]をテーマにした本を出したのですが、それを読んで、NHKに対して怒っているようです。

早速、一条さんのブログを読みました。
長いです。それだけで一条さんの怒りの大きさが伝わってきます。
それを知った以上、私も書かなければいけません。

私もNHKの「無縁社会キャンペーン」には憤っています
最近、NHKの会長を誰にするかが話題になっていましたが、まともな人が会長になったら、こんな破廉恥なキャンペーン(発想が逆です)は見直すでしょうが、議論しているメンバーにはそんな感受性はないかもしれません。

現実を変えていくのがキャンペーンの意味であって、現実を追随し問題を固定化させることはキャンペーンというべきではありません。
少なくとも私の視聴料金は使ってほしくありません。
問題を創りあげて「利益」を得るのが、近代産業の常套手段です。
いわゆる「ソリューションビジネスモデル」ですが、社会の成熟化により、生(なま)の問題がなくなってくると、自分たちで問題を創り出すというおかしなことが起こり出します。
これは「産業のジレンマ」の典型例ですが、無縁社会論も、その言葉と事実をはやらせることで私服を肥やす人は少なくないのです。

一条さんの怒りは、そのブログを読んでもらうとして、要旨を少しフォローしておきます。

一条さんが読んだのは、『人はひとりで死ぬ』(島田裕巳著 NHK出版新書)です。
サブタイトルは、『「無縁社会」を生きるために』。
その内容は「無縁社会肯定論」「孤独死肯定論」のようです。
一条さんのブログには、それが引用文も含めて解説されています。

驚くべきことに、本書の「おわりに」は次のように結ばれているそうです。

「私たちは死ぬまで生きればいい。
その単純な事実に気づき、これからの生をどのように送っていけばいいかを理解できるようになる。
そのとき、無縁社会は恐れの対象ではなくなる。
無縁社会は、逆に自由で、豊かな可能性を帯びた社会にも見えてくる。」
(引用文は一条さんのブログからの間接引用です)

著者の島田さんは、オウム真理教を擁護した宗教学者で、そのことで社会からの厳しいバッシングを受けた人だそうです。
よりによってそうした人をNHKは選んだのです。
もし、「無縁社会や孤独死を肯定する本を書いてほしい」とNHK出版が依頼したとしたら、これは大問題です。
一条さんは、「本書がNHK出版から刊行されたことが非常に残念」と書いていますが、残念どころか私は悪意を感じます。

一条さんは、ただ怒っているだけではありません。
人の縁を育てる仕事に取り組みながら、社会活動としての隣人祭りの開催などにも熱心です。
一条さんは、NHKは「無縁社会」という言葉を流行させ人々に不安を与えるだけではなく、無縁社会を打開する具体案について報道するべきであると書いています。
同感です。
私もNHKの記者がいるイベントで同じことをお話したことがあります。
流行らせるなら「有縁社会」という言葉です。
前に書いたように、言葉は現実を創りだす力をもっているのです

新しい会長にはぜひそうしたことを考えてほしいものです。

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■節子への挽歌1242:同行二人

もう1日だけ「旅立ち」の話を続けます。

節子は49日の旅を経て彼岸に着きました。
私は1240日の放浪の末に、やっと旅をしている自分に気づいたことになります。
節子を見送って以来、おろおろと生きてきたために、それに気づいていなかったのです。

もう一度、Time to say goodbyeの歌詞を見てみましょう。

いままでに見たこともおとずれたこともない場所を
今こそ暮らしましょう あなたと旅立とう
船に乗り 海を越えて
そう私にはわかっている
あなたとなら生きていける
あなたと旅立とう
船に乗り海を越え
そうわたしにはわかっている
あなたとならもう一度生きていける
あなたと旅立とう
わたしとあなたと
あなたと一緒に、新しいところに行って、新しい人生をはじめよう
あなたとなら、それができる
あなたとなら、先の見えない海も乗り越えられる

とまあ、そんな意味でしょうか。
問題は、この「あなた」です。

四国のお遍路さんは、笠に「同行二人」と書いています。
いつも弘法大師が一緒だと言うことですが、その意味は、自らの中にある「本来の自己」と同行しているという意味だそうです。
「本来の自己」をどう考えるかは難しい問題ですが、私は自らの心身に刻み込まれた人生のすべてだと思っています。
そこには両親はもとより、生命の記憶がすべて宿っており、自己にして自己に非ずの「大きな生命への入り口」ではないかと思います。
そして、いまの私の場合、その象徴が節子なのです。

Time to say goodbye
別れを言って旅に出る。
これはお遍路と同じく、「同行二人」の旅立ちです。
そう考えると私の今の心境にまさに重なってきます。
言い換えればこうなります。

だれかを本当に愛したことがあれば、
どんなことにも耐えられる。
どんな世界でも生きていける。

私が旅に出たのは1回だけだったのです。
節子に出会った時だけだったのです。
フォンタナの絵は1枚だけしかなかったのです。
Time to say goodbye を聴いているうちに、そのことに気がつきました。
節子と一緒の旅なら、前を向いて進まなければいけません。

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2011/01/25

■節子への挽歌1241:突然に終わった再びの旅立ち

昨日の挽歌の続きです。
再びフォンタナの絵を思い出したのは、47歳のときです。
25年間所属していた会社を辞める決意をしたのです。
そして、退社後のシナリオをまったく用意せずに会社を辞めました。
その時の私の思いは、「また新しいキャンパスに1本の線を引こう」というイメージでした。
その時点で、価値観を変えました。
もちろんキャンパス、つまり活動のフィールドも変えました。
この時も節子は何も言わずに賛成し、2人の新しい旅立ちがはじまったのです。
ある雑誌に頼まれて、その頃の気持ちを書きました。
節子と私の関係は、そこでまた変わりました。
フォンタナの絵ほど鮮明ではないですが、人生をやり直すのはとても楽しいものでした。
そして、それから私の生き方は大きく変わりました。
専業主婦だった節子の生き方も変わりました。
私たちの関係が、それまでとは違って、ばらばらでは立てないほどに相補的になったのは、その頃からです。
ただ今から思えば、私は節子の好意にあまりにも甘えすぎた気がします。
わがままで勤め人向きでない修が、家族のために25年間もがんばってくれた、だからこれからは修の好きなように生きればいい、という節子の言葉と好意を、あまりに素直に受け入れてしまったのです。

私のわがままが、節子の負担になっているのではないか、そんな思いから1年仕事をペースダウンしようと思った時に、皮肉な事に節子の病気が発見されたのです。
節子との2番目の旅立ちは、こうして中断を余儀なくされました。
そして、節子との別れ。
3回目の旅立ちとなったわけです。
それまでともかく一緒に歩いてきたのに、突然に別れなければいけなくなったのです。
節子の旅立ちを送った後、私は旅立ちどころではなく、立っていることさえできなくなったのです。

私の人生にもし意味があるとすれば、それは2回目の旅立ち後でした。
世界が広がったのです。
私にとって、とても大きな生を実感でき、世界が見えるようになったのは、この旅立ちのおかげです。
学生時代と人生観や世界観が変わったわけではないのですが、それが現実となって現れてきたのです。
しかも、節子という「支え」のおかげで、いつも、そして何でも、思い悩むことなく取り組めました。
失敗しても、嫌になっても、全面的に理解してくれる人生の伴侶の存在は、限りない勇気を与えてくれたのです。

であればこそ、その突然の終わりは、私には辛いものでした。
それが第3の旅立ちとは気づきませんでした。
節子の旅立ちは、同時に私の旅立ちであることに気づかないほどに、私の意識が萎えていたとしか思えません。

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2011/01/24

■節子への挽歌1240:最初の旅立ち

一昨日、Time to say goodbye について書いた時に、「別れと旅立ちは同じこと」と書きました。
考えてみると、出会いもまた旅立ちなのです。

節子と出会って一緒に人生を歩もうと思った時、私の旅が始まったのです。
かなり意識的な旅でした。
それまでの私の人生を、その時は、消そうと思っていたからです。
もちろん、人生は消そうと思って消せるはずもありません。
しかし当時の私は、あまり現実感覚がなく、理念的に、あるいは思考的に生きていました。
自分の人生は自分で演出し、物語を創出していくのだという思いがありました。
そう思った契機は、当時愛読していた「芸術新潮」に載っていた1枚の絵です。
アルゼンチンのルシオ・フォンタナの絵です。
今でも覚えていますが、真っ赤なキャンバスの真ん中に、斜めに切口が鮮明に描かれているだけの絵です。
ネットで探しても見つかりませんでしたが、斜めに走った切口が、なぜか私の人生に見えたのです。
そしてもう一度無地のキャンバスに生きる奇跡を描きなおしたいと思ったのです。
キャンバスは、私にとっては社会そのものでもありました。
今から思えば、かなり気負いがありました。
自分の人生のドラマは、白紙から自分で演出したかったのです。

結婚は、主役の私が、共演者に節子を選んだだけの話だったのです。
だから節子への結婚申込みの言葉が、「結婚でもしてみないか」だったのです。
聞きようによっては、極めて不謹慎な言葉です。
節子の両親が慌ててとんでくるのも当然です。
しかし、私にとっては、決していい加減な発言ではなく、そこにすべてを入れ込んでいたのです。
結婚は決して目的ではない、大切なのは人生を共に開くこと。
節子は、それを直感的に感じ、私を全面的に信頼し、私との共演に身を投じたのです。
それが節子の望んでいた人生だったかどうかはかなり疑問ですが、私と人生を重ねるうちに、節子と私の人生は一体化してしまったことは間違いありません。
そして、節子は私との人生を楽しみました、
来世でも私を選ぶか、という私の質問に「選ぶ」という回答を得たことは一度もありませんが、それは問う必要もないほど明確なことだったからです。

節子との出会いが、私の人生の旅立ちだったとしたら、節子との別れは、その旅の終わりだったのでしょうか。
しかし、その前に、私にはもう1回、フォンタナの絵を思い出した時があります。
長くなるので、明日に続けます。

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■我孫子市長選の報告

http://homepage2.nifty.com/CWS/abiko11.htm我孫子市の市長選が昨日、行われました。
2期目の現職に対し、若い世代の市議が挑戦した選挙でした。
当初、7対3で現職が勝つだろうと言われていました。
実際に市会議員の議員28人(何という多さでしょうか)のうち、16人が現職支持で、現職のチラシに顔写真までいれての応援ぶりでした。
それに対して、挑戦者側には若い市議を中心に5人が実際の活動に知恵と汗を出しました。
結果は55対45で現職の当選です。

私は途中から挑戦者側に加担しました。
挑戦者が必ず勝てると確信していたからです。
残念ながら勝てませんでした。

市長選のことは私のホームページにも書いていますが、特別のコーナーも作っています。
選挙が終わったのですが、常設のコーナーとして、我孫子市のコーナーをつくる予定です。

今回のささやかな体験で、地方政治や選挙の実態をいろいろと学ばせてもらいました。
少し中に入りすぎたので書きにくい部分はありますが、できるだけそこでの気づきも、そのコーナーで書いていくつもりです。
なぜ敗れたのか、なぜ投票率は低かったのか、市議会とは一体なんなのか、住民とはなんなのか、なども追々書いていくつもりです。
場合によっては、もうひとつブログをはじめるかもしれません、

阿久根市のような、地方政治の実態を見えるようにする動きがいろんなところにありますが、そうしたところでの体験知は当該地域に限らず、多くの示唆を与えるものです。
そうしたものがもっと共有化されていくことが望まれます。

我孫子市の今回の事例は、それほど大きな示唆は含まれていないかもしれません。
新市長が実現したら、それができたと思うのですが、残念ながら落選してしまいましたから、これまで通り、また見えない政治が行われかねません。

我孫子市に新しい風は起こりませんでした。
関わった者の一人として、反省すべきことが多々あります。
なによりも、挑戦者の役に立てなかったことが無念です。

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■女性の生活の豊かさと行動力のすごさ

面白い体験をしました。
このブログでも何回か書きましたが、私の友人が関わったオペラ公演をみんなにも見てもらいたくて、友人知人に案内をメールしたり、会った人に声をかけたりしてみました。
そこでいくつかのことを感じました。

まず誘った時の最初の反応が男女によってかなり違いました。
男性は関心をもつ人の方が少なく、なかには「オペラとは高尚な話ですね」と切り捨てられた人もいます。
傾向として、関心をもつ人は例外的でしたが、その代わり関心を持った人は予定を変えてまで行ってくれました。
それに対して女性の場合は、むしろ関心を持たないほうが例外的で、オペラが好きであるかどうかよりも、まずは興味を持つという感じでした。

組織、特に企業に属している男性はまったくと言っていいほど、興味を示しませんでした。
なかには「女房は関心をもつかもしれない」という人もいましたが、その人が奥さんに紹介してくれたかどうかはわかりません。
逆に会社を定年で辞めた人は数名が参加してくれました。

案内を受け取った後の行動も違っていました。
男性はだいたいにおいて当人で情報の広がりは終わりましたが、女性はそこからさらに先に延びました。
なかには7人以上の人のチケットを予約してくれた人もいます。
しかも実際に観劇した後、その情報が広がり、翌日の公演にまた友人を誘っていくというような人もいました。
女性の情報伝達力のすごさを改めて実感しました。
自分は行けないがと言って、自分のブログやツイッターで情報を広げてくれたのも多くは女性でした。
観劇した後、その感想を送ってくれるのもほとんどが女性でした。

女性でもいけなかった人がいました。
子育ての関係で行けないという人が3人ほど連絡をくれました。
男性にはいけない理由が子育てなどというのはもちろんありません。

今回は公演の直前になって、ある思いから20人ほどの人にメールさせてもらいましたが、メールした途端に数名の女性から反応がありました。
これには驚きました。
なかには前日にメールさせてもらった人もいますが、その人も予定を調整してまで来てくれました。
会場で久しぶりにお会いしましたが、テレビ関係の仕事をしている人なので超多忙なはずです。

男性である私の意見としては、男性たちが一生懸命に稼ぎ仕事をしている間に、女性たちは働きながらも豊かな生活をしているということです。
女性が自らの世界を豊かにしているのに比べて、男性はどんどん自らの世界を貧しくしています。
しかしそのことに男性はあまり気づいていません。
そうした男性の末路がどうなるか、考えただけでぞっとします。

今回のオペラ公演のおかげで、いろんなことに気づかせてもらいました。
結局、社会を動かしているのは女性たちなのです。
困ったものです。

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2011/01/23

■存在しない現実の消去

また「殺処分」という言葉に出会うことになりました。
今日の朝日新聞の記事です。

宮崎県は23日、同県新富町の養鶏場で採卵鶏20羽が死に、鳥インフルエンザの簡易検査をしたところ、6羽中5羽の検体で陽性反応が出た、と発表した。遺伝子検査の結果、高病原性のウイルスが確認されれば、県は、この養鶏場の約6万6千羽を殺処分する。養鶏場は12棟が並ぶ養鶏団地内にあり、飼育されている全約46万羽が殺処分の対象になる可能性もある。
前にも書きましたが、なぜ5羽が病気にかかったことで、46万羽の鳥が殺処分されなければいけないのか。
その理由がまったくわかりません。
どなたか説明できる方がいたら教えてください。

「マイノリティ・リポート」というトム・クルーズ主演の映画がありました。
予知能力を持つ人たちの脳を活用して未来の犯罪を事前に防ぐという映画です。
これは未来の話として描かれていますが、実際にはこうしたことはすでに起こっています。
よく言われるのは、イラク戦争です。
フセインが大量破壊兵器を使用するという、未来の犯罪に対して、ブッシュはフセインを殺処分しました。
私たち日本人も、小泉首相のもとでそれに加担したのです。
私のわずかばかりの税金もフセイン殺害に使用されたというべきでしょう。

まだ存在しない犯罪は犯罪になり、それを防止するための、たとえば殺人は正義になる、これが現代の社会です。

家畜の殺処分は、そうした文化の中で行われています。
前にも書きましたが、その延長には人間の殺処分があるかもしれません。
ナチスのやったことは、大規模であるがゆえに問題にされますが、小規模であれば、決して特殊な事件ではないようにも思います。
これだけ大規模な殺処分が行われても、ほとんどの人がおかしいと思わない状況は、ナチス時代とそう変わらないのではないかと思うほどです。

時間軸の流れに関しては、私はかなり柔軟な発想を持っていますが、存在しない現実の消去はなかなか理解できません。

ここで重要なのは、すでにもはや「現実」というものは消滅してしまっているのではないかということです。
北朝鮮という国家は、実は存在しないかもしれないと、最近私は思い出しています。
存在しない現実を消去する人たちにとっての最初の仕事は、存在しない現実を創りだすことなのですから。
だとすると、拉致問題というのはいったい何なのか。
沖縄の米軍基地問題もその視点で考えると、いろんなことに気づきます。

鳥の殺処分と沖縄米軍基地問題、北朝鮮問題、すべてはつながっているのです

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■節子への挽歌1239:「余命」と「いつ何があってもおかしくない」

若い友人からメールが来ました。
年末に会って、今年はあることに取り組もうという話をしていたので、その報告かと思ってメールを読み出したのですが・・・・

母が、5日夕方、緊急入院し、検査の結果、すい臓がんと診断されたのです。
13日に、本人と家族に告知されました。
なんと余命3ヶ月・・・

お正月休みは、母の手料理を囲んで、のんびり過ごしたばかりで、
今現在も元気にしている母が、あと数ヶ月の命だとは、到底信じられません。

思ってもいなかった内容に一瞬読みとどまってしまいました。
それにしても、「余命」って一体なんなのか。
改めて思いました。
信じられなければ信じなければいい、と言いたい気もしましたが、やめました。
それは個人の問題ですから。

私も全く信じませんでしたし、意識さえしませんでした。
節子は意識はしていましたが、信じてはいなかったような気がします。
意識しなくても、信じなくても、現実は現実として進んでいきます。
しかし、生命はいかなる場合もそれ自体価値のあることで、「余った命」など断じてあるはずもないのです。
医学の知識があるとしても、勝手に決めていいものでしょうか。
節子の主治医は、「いつ何があってもおかしくない」とはいいましたが、「余命」と言う言葉は使いませんでした。
「いつ何があってもおかしくない」という表現は、今の私にも当てはまりますが、その言葉の意味は状況によって、当事者がしっかりと受け止められる言葉です。
その意味では、とてもやわらかな言葉です。

「いつ何があってもおかしくない」としても、彼女のお母さんや周りにいる人たちが価値ある生を楽しまれることを祈りたいと思います。
「いつ何があってもおかしくない」私も、節子がそうであったように、1日1日を大事にしなければいけません。
今の私の生き方を見たら、きっと節子には怒られるでしょう。
少し反省しなければいけません。

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■政治とカネより、政治と信

民主党政権に入閣した与謝野議員の行動が多くの人のひんしゅくを買っています。
石原都知事は「軽蔑する」と公然と言い切りました。
平成の議席泥棒と揶揄している人もいます。
今日もテレビの番組に出ていた与謝野議員に手厳しく批判の声が向けられていましたが、与謝野議員の答弁はまさに自分のことしか考えていない発言で、性時にあまり関心のないわが娘でさえ、呆れていました。

私は、与謝野議員には見識も知性も、誠意も感じていないので、そもそもこういう人を政治家に選んだ国民の情けなさを嘆くだけでしたが、今回の件は社会的にも問題を含んでいるように思います。

そもそも選挙区で落選した候補者が比例区で復活するという、権力者が守られる選挙制制度には異論がありますが、与謝野議員(与謝野さんとは呼ぶ気がしません)はそれどころか、さらに比例区で拾ってもらった自民党を飛び出し、仲間と組んだ政党も裏切ったわけです。
そんな泥棒や詐欺師のような卑しい人を向かいれた菅首相の卑しさには呆れます。
生きるために、泥棒や詐欺をしなければいけない人と違って、与謝野議員も菅首相も、食べていくには十分な資産をお持ちでしょうに、哀しい話です。
いくらお金があっても、信がなければ生きていけないことの現われかもしれませんが。

しかし、今回の与謝野議員の行動は、日本の選挙制度を揺るがすほどの意味を持っているように思います。
こんな結果を引き起こす選挙に、誰が信頼感をもつでしょうか。
その意味で、与謝野議員と菅首相の罪は大きいはずです。
彼らには「信」というものがないのです。

もう一つ思うことがあります。
前の村山政権の時に感じたことですが、権力は自らの遠くにいる人を使って悪事を働くということです。
弱い人は、そうした権力とカネの誘いに乗って、自らの頸をしめていくのでしょう。
悪事の手先は、いつも心弱い、信のない人が受け持つのかもしれません。

ボードリヤールは、権力も金も同じで、自己増殖するために、一度取り込んだ人を解放しないといっています。
そうした権力や金の呪いが、この2人を呪縛しているのかもしれません。

石原さんが軽蔑という言葉を使いましたが、私はそれではとどまらないほどの悪事を働いた人ではないかと思っています。
石原さんのように、なぜもっとみんな明確な物言いをしないのか。
きっと自分も同じ仲間だからなのでしょう。

私にとっては、政治とカネよりも、政治と信の問題が大切です。
政治家にとって大切なのは「信」です。
お金の問題など瑣末な話だろうと思います。

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2011/01/22

■節子への挽歌1238:Time to say goodbye

昨日のオペラの最後に、出演者全員で歌ってくれたのが、Time to say goodbye です。
私はこの曲を「別れの歌」だとばかり思っていました。
改めて今日、CDで聴きなおしながら、ネットで歌詞の意味を確認してみました。
別れの歌と言うよりも、旅立ちの歌のようです。

ネットの中で日本語に訳されたものをみつけました。
長いですが、引用させてもらいます。
出所はここをクリックしてください

歌詞はイタリア語ですが、なぜか「Time to say goodbye」だけが英語になっています。
全訳はこうなっています。

ひとりきりでいるとき 私は水平線を夢見る
そして なにも言えなくなってしまう
部屋のなかは暗い 陽の光がないから
あなたが私のそばにいないと太陽も消えたまま
窓から私の心が広がっていく
あなたのものになった心が
あなたはそんな私に光をふりそそいでくれる
あなたが窓の外で見つけてきた光を
Time To Say Goodbye

いままでに見たこともおとずれたこともない場所を
今こそ暮らしましょう あなたと旅立とう
船に乗り 海を越えて
そう私にはわかっている
あなたとなら生きていける
あなたと旅立とう
船に乗り海を越え
そうわたしにはわかっている
あなたとならもう一度生きていける
あなたと旅立とう
わたしとあなたと

訳のせいか、意味はかなり曖昧ですが、情景は浮かんできます。
いえ、浮かぶというよりも、私自身とあまりにも重なってしまうのです。
しかし何回もサラ・ブライトマンの歌を聴きながら、歌詞を読んでいると、やはりこれは「別れの歌」ではないかという気もしてきます。
そして、「別れ」とは「旅立ち」のことなのだと気づきました。
コロンブスの卵ではないですが、なぜかこれまであまり意識していませんでした。

節子は旅立ったのに、私は旅立てずにいる。
旅立つ勇気がほしいような、ほしくないような、複雑な心境です。
節子がいたら助けてくれるのですが。

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2011/01/21

■節子への挽歌1237:音楽の力

節子
前に書いた「スロバキア国立オペラ公演」に行ってきました。
オペラ嫌いが行きたくない理由だと書きましたが、実はもっと大きな理由があったのです。
それは書かないでおこうと思っていましたが、書くことにします。
高橋さんに会ったら、なんだか気持ちが落ち着きました。
心の扉は少しずつ開いていかなくてはいけません。

実はこれまでにもコンサートなどを何回か誘われたことがあります。
理由をつけて、あるいは理由なしにお断りしてきました。
理由は行けなかったのです。
節子とのさまざまな記憶からどうしても解放されないからです。
演奏を聴く勇気が持てなかったからです。
節子はコンサートが大好きでしたから。

ですから、今回、なにやら「勢い」で行くことにしてしまったのですが、行く直前まで気が重かったのです。
しかし行ってとてもよかったです。
たくさんの人にも会えましたし。
高橋さんも元気でした。

公演もすばらしいものでした。
小ホールで舞台との距離感もあまりなかったこともあるでしょうが、心身が演者たちと同調するような気がしました。
後半はオペレッタやミュージカルの曲を歌って聴かせてくれました。
聴きなれた曲もありました。
そしてわれながら驚いたのですが、最後に近づいた頃には、曲に合わせて心身が動き出していたのです。
最後は一緒に歌いたい気分でした。
まるで節子が乗り移っているようです。

アンコールの最後に歌われたのが、「Time to say goodbye」でした。
なぜこの曲が選ばれたのでしょうか。
心に響き過ぎました。
それもあったのかもしれませんが、最後に高橋さんと話しているうちに、何かが解けたようです。
高橋さんに感謝しなければいけません。

やはり動き出すと何かが変わります。

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■我孫子市長選挙から感じたこと

今日もまた我孫子市の市長選で感じたことを書きます。
この記事は、私のホームページの「我孫子市長選挙コーナー」と重なっています。

選挙公報と両候補それぞれの公約チラシが新聞折込で宅配されました。
それを読むと、表現の違いはあるものの、両候補の公約項目の差はあまりないように思います。
それは当然と言えば当然です。

市会議員と違って市長の場合は、全住民に気配りをする傾向が強くなります。
住民の声を聴くことが民主主義であり、住民重視だという考えが広がっているので(私は全くそう思っていませんが)、どうしてもそうなるのです。
両候補とも同じ我孫子住民を相手にしていますから、当然公約内容は似てくるわけです。
もちろんその取り組み方は違う場合もあるでしょうが、チラシのような短い文章では,そこまでは伝え切れないことが多いのです。

私は個々の政策公約にはほとんど関心はありません。
それにそんなものをきちんと読んだり、さらにはそれが実行されると信ずる住民はそれほど多いわけではありません。
私が知っている我孫子の住民100人を想定した場合(私が顔を思いだせる住民はその程度です)、そうした政策項目を読みそうな人は10人くらいしか思い浮かびません。
チラシはほとんどが読まれずに廃棄されるように思います。
情報性がないからです。

大切なのは、住民の要望に応えるための政策項目ではなく、市政に対する理念やビジョンだと思います。
それさえ明確ならば、そこからおのずと政策課題や政策項目、個々の施策や事業が出てきます。
その内容は繰り返し書いているように、「どこをめざすのか」と「どういうやり方でそれを実現するか」です。
その視点で両候補の公約を整理すればおのずと違いは見えてきますが、不思議なことに両候補ともそれを明確にしていません。
ですからおそらくチラシを読んだ住民は同じようにしか受け取らないでしょう。

しかし、よく読んでみると、違いは見えてきます。
星野市長は、企業誘致なども含む工業社会型の開発路線を行政主導で進めるというように読み取れます。
それに対して、坂巻候補は、持続可能な経済社会をビジョンに置きながら、住民と一緒になって、時には住民を主役にしながら、地域資源を活かして地域の経済や生活を豊かにしていこうと考えています。

坂巻さんの考えは、これまでの発想とは違いますから、なかなか住民には伝わりませんが、そうした事例は各地に出始めています。
住民がすんなりと理解できないことを伝えるのは難しい話です。
その方法は一つだけあります。
「郵政民営化」を叫び続けた小泉手法です。
坂巻候補にとっての、その言葉はなんでしょうか。
私は、「みんなが手賀沼で泳げる日を実現したい」だと思います。
そのフレーズは坂巻さんのチラシにも含まれていますが、あまり目立たないのが残念です。
この言葉の意味を考えると、とても豊かな未来が展望できます。
さまざまなことが、そこに象徴されています・
しかしもしかしたら多くの人は、「手賀沼で泳げて、何の意味があるのか」と思うかもしれません。
私の娘からもそう言われました。
そこにこそ、現代社会の問題、つまりは経済の仕組みや生活のあり方を覆っている問題の本質があるのかもしれません。

自治体の首長選挙は、そうしたことを考えるとてもいい機会です。
春には統一地方選が行われます。
国政選挙も大事でしょうが、それ以上に大切なのが、私たちの手の届く自治体の首長選挙ではないかと思っています。

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2011/01/20

■節子への挽歌1236:感謝したい時には妻はなし

節子
最近また節子の前が花でにぎやかになっています。
今日はネパールで活動している田中さんが娘のスペインタイルの工房に来てくれたのですが、チューリップとフリージアを持ってきてくれました。
田中さんは日本のチューリップをカトマンズに植えてくれてことがありますが、今日持ってきてくれたのは日本のチューリップです。
私は出かけていたので、田中さんにはお会いできませんでしたが、節子はみんなから花がもらえて幸せ者です。

その前に、敦賀からは福井の水仙が届きました。
福井の水仙も毎年届きます。

今年のお正月はバタバタしていて、生花はあまり買わなかったのですが、
それでもその時のカサブランカがまだ咲いています。
寒いせいか長持ちします。
室内のシクラメンもカランコエも元気です。
そういえば昨年もらったミニ胡蝶蘭がつぼみを持ち出しました。
庭にある盆栽に梅も咲いています。
寒い冬でも花は元気に咲くことを知りました。
今週は寒い毎日が続いていますが、わが家は花のおかげで華やいでいるのです。

寒さには強い花も、水は不可欠のようです。
乾燥した天候が続いているので、水やりをきちんとやっていなかったため、枯れてしまった花木もありそうです。
ちょっと気を抜くと室内の花木も水が不足して元気をなくします。
かといって、たくさんやりすぎると根腐れしてしまいます。
気が抜けません。
まあそんなわけで、節子が残した花木は、残念ながら毎年少しずつ減っています。
しかし、いのちあるものは、いつか必ずいのち尽きるものですから、仕方ありません。

私も植物が大好きです。
節子のおかげで、いつも花に囲まれていましたが、節子がいなくなってから、花の世話の大変さを知りました。
花だけではありません。
私の生活が快適だったのは、節子のおかげだったのです。
最近そのことにようやく気づきだしました。
親孝行、したい時には親はなし、と言いますが、感謝したい時には妻はいないのです。
困ったものです。
伴侶がいる方は、そうならないように、いますぐ感謝することをお勧めします。
感謝の言葉を伝えられないことは、とても辛いことですから。

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2011/01/19

■期日前投票と投票整理券

また我孫子市の市長選挙で気づいたことです。
私のホームページの「我孫子市の市長選コーナー」にも書きましたが、ここでも書いておきます。
他の市町村の事情を知りたいからです。

いま我孫子市は市長選挙の真っ只中です。
期日前選挙も行われています。

共稼ぎの友人が、もう1日早く投票整理券が届けば期日前投票に行けたのにと怒っています。
ご主人は火曜日が休みなのですが、それ以外は朝早く帰宅も遅いので期日前投票にはいけません。
ところが投票整理券が届いたのが水曜日だったのです。
なぜ期日前投票が始まる前に送ってくれないのか、これでは投票に行けないと怒っているのです。
たしかにこれはおかしいです。

そういえばわが家に届いたのも火曜日でした。
期日前投票は今週の月曜日から始まっています。
投票整理券が届くのが遅すぎます。
市報をみたら、投票整理券がなくても期日前投票はできるそうですが、投票整理券が来ないと忘れてしまってもおかしくありません。
まあ忘れる方が悪いといってしまえばそれまでですが。

我孫子市の選挙管理委員会が怠慢なのでしょうか、あるいはこれが全国の常識なのでしょうか。
すっきりしません。
怠慢というよりも、投票率を上げたくないという「意図」が働いているような気さえします。
日本の選挙管理委員会の不明朗さは、最近の名古屋市のリコール運動でも明らかになりましたが、お上の発想で取り仕切られているような気もします。
投票率が低いのは、選挙管理委員会の怠慢さの結果であることは間違いありませんが、それでもだれも罰せられません。
どう考えてもおかしい気がします。

我孫子市の選挙管理委員会にクレームしたいところですが、まあ我孫子市だけではないかもしれません。
他の市町村の実態をご存知の方がいたら教えてください。

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■節子への挽歌1235:悲しい時には悲しむのがいい

節子
ある人からの過去のメールを探していたら、こんなメールに出会ってしまいました。

佐藤さんへ
夫は、お前より、1分前に死にたいといっております。
私も、何をするにも夫と一緒なので、きっと佐藤さんの気持ちがそのときになればしみじみわかると思います。

いっぱいめそめそして、またいつか奥様に会えたら、思いっきり笑われたらいいじゃないですか。
がんばって、めそめそしてください。
微笑みながら天国からきっと眺めておいでかと思います。

彼女は10年近く前に、山口県のあるNPOの集まりで、発達障害者のための働き場をつくりたいと呼びかけていました。
それでささやかに応援させてもらって以来のお付き合いで、東京に来ると私に会いに来てくれます。
不思議な人で、ある時はお漬物の大根を、ある時は手づくりのバックをお土産に持ってきてくれました。
節子は、そのバックを大事に使っていましたが、そのお礼を書いた返事が、このメールです。
節子を見送って、まだ3か月もたっていない日付でした。

当時はいろんな人が声をかけてくれました。
私がきちんとそれに応えられていたかどうかは自信がありません。
しかし、この種の、つまり「めそめそ」を応援してくれた人にはたぶん返事を出したように思います。
素直な気持ちに従うことを応援してくれる声には心やすらぎ、元気が出るのです。
もし皆さんのまわりに、悲しみに出会った人がいたら、元気になれなどといわずに、悲しみを応援してほしいと思います。
人は、悲しい時には悲しむのがいいのです。
うれしい時にはうれしがるのがいいように。

来週、この人は湯島に来ます。
彼女が構想していた働き場は見事に実現したのですが、それがさらにどう発展しているか、楽しみです。
彼女のお菓子づくりの腕も上達したことでしょう。

乗り越えなくてはならない課題があると、人は元気になり、大きくなります。
乗り越えられない課題の場合はどうでしょうか。
最近、その答が見つかったような気がします。
乗り越えられない課題は、そもそも課題ではないのです。
ニーバーの祈り の意味が、最近少しまた深くわかったような気がします。


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■地方政治への無関心の理由

私の住んでいる我孫子市の市長選挙が1月23日に行われます
我孫子市の前回の市長選は、新人2人の選挙でした。
にもかかわらず投票率は43%と低い結果に終わりました。
それにしても低いです。

国会議員の選挙の投票率よりも低いというのは、どういうわけでしょうか。
おそらくそれは政治のあり方、あるいは国のかたちに起因しています。
本来、生活者の視点に立てば、生活にとって一番身近な基礎自治体の政治こそが重要です。
にもかかわらず自治体の首長よりも国会議員の選挙のほうがみんな重要だと思っているわけです。
その背景には中央集権の仕組みがあります。
いささか極端に言えば、中央官庁の職員は自治体の職員よりも偉いのです。
中央から地方に出向すると必ず職位が高まります。
課長職の人が自治体に行くと部長になるというわけです。
中央官庁の課長職が市町村や県の首長になっていく事例も少なくありません。

それと同じで、地方議会の議員は国会議員の下っ端に位置しているのです。
もちろん「意識の世界」の話です。
職員は当然ながら霞が関の方を向きます。
住民のほうなど向かないのです。
そうした枠組みの中にいると、住民たちも国家の統治機構のほうに目を向けてしまいます。
自治体の行政や政治には目が向きません。
ですから、地方自治体職員や議会議員、首長が、勝手気ままに振る舞えっても、よほどのことでなければ、誰もとがめません。
それに、彼らが何をしているか、どのくらいの給与をもらっているのかも、知らないでしょう。
そうした状況が今ようやく破られようとしています。
その動きが、阿久根市であり名古屋市であり、大阪府です。

さて今回の投票率はどうなるでしょうか。
投票率が上がれば、新人候補が有利になるでしょう。
現状を変えたいと思えば、これまで選挙に行かなかった人たちが投票に行きます。
今のままでいいと思っている人や無関心の人はこれまでと同じく投票には行かないでしょう。
これまで行かなかった人が投票に行くということは、現状を変えたいと思うからです。

政権は支持層と政府が一体化した体制です。
したがって、投票率と政権交代率は比例関係にあるわけです。
ということは、投票率の高低は、その社会の成員にとっての満足度に反比例しています。
我孫子市の市長選の投票率が低いのは、要するにみんな我孫子の現状に満足しているからなのかもしれません。

しかし、もし自分が住んでいるところを、もっとよくしたいと思うならば、投票率を高めなければいけません。
投票率だけではありません。
普段から行政や議会に関心を持たなければなりません。
地域主権とは、住民がそうした関心と責任を持つということです。
それには現在の基礎自治体は、どう考えても大きすぎる気がします。

地方分権体制ではなく、地域主権体制にするのであれば、平成の市町村大分解に取り組まなければいけません。
どうも私の発想は時代の流れに反しているようです。
困ったものです。

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2011/01/18

■「超就職氷河期」という認識でいいのか

今年の大卒就職内定率は70%に達していないようです。
実際には公式統計以上に低いのではないかと思いますが、朝日新聞によれば、就職氷河期といわれた2000年よりも低く(当時は70%半ば)、まさに「超氷河期」には云っているようです。

私自身は、こうした状況を「氷河期」と捉えていいかどうかどうかには疑問を持っています。
いまの雇用システムや経済システムを前提にすれば、今の状況が改善されるとはなかなか思えないのです。
政府は「雇用増大」を目指して、法人税を下げようとしていますが、そんなことで雇用が増えるはずがありません。

オートメーション化やIT化により、人が担う仕事は大幅に減っています。
一説によると、この数十年で1/5になったということを本で読んだ記憶もあります。
1980年代には「ジョブレスの時代」の到来が話題になっていました。
しかもその間、人口は増えてきているのです。
そのため景気が回復しても働く場は増えず、失業率は改善されないというような状況が実際に起こっています。
つまり経済のシステムが変わってきているのです。
景気が悪いから就職内定率が改善されないと考えていていいのでしょうか。

もっとも、大きな流れからいえば、これからの日本は、いわゆる生産年齢人口は減少していきますから、逆に働く人がいないという状況も危惧されています。
話はいささか複雑なのです。

つまり2つの要素で、社会の構造変化が起こっているわけですが、
偶然にもその2つは反対の方向性を持っているため、現実には問題を隠しあう関係になっています。
そこが悩ましいところです。

しかし単に雇用を増やせ、景気を良くしろ、というだけでいいのでしょうか。
大きな構造が変わりだしているのです。
就職難の時代ではなく、もっと大きな枠組みの変化が起こっているのです。
しかし発想はなかなか変わりません。
むしろ構造変化が始まった30年前よりも、発想は保守化し、後退しているように思えてなりません。
発想を変えれば、問題の解決策は見えてきます。
長い視野で新しい状況に向けての動きをはじめなければ、何も変わりません。
経済はいま、枠組みから考え直すべき時期に来ているように思います。

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■節子への挽歌1234:オペラを観劇する前に感激できました

節子
とてもうれしいことが起こりました。

時評編に「市民の市民による市民のためのオペラ」のことを書きました。
私のホームページのほうにも紹介記事を書きました。
でもあまり反応がありませんでした。
やはりオペラは距離があるかなと思いました。
ある人に、オペラに行きませんかと言った途端に、また高尚な話ですね、と言われたので話すのを止めたこともありました。
それで少しひがんでいたのです。

少し時間ができたので20人ほどの友人に今度は直接メールで案内を出しました。
一昨日のことです。
驚いたことに、昨日から電話やメールが入りだしました。
チケットの申込みも届き出しました。
私に言ってきてもいいなどと無責任に書いてしまったのが失敗でした。
なかには4枚とか、増えてもいいかとか、いろいろです。
ある人が周りに声をかけたら関心を持つ人が多くて驚いたといってきました。
私も驚きました。

自分のブログで紹介したり、ツイッターで書き込んだり、仲間に転送したり、いろんなことをみんながやってくれるのです。
その反応の良さに驚きました。
やはりネットの威力はすごいと思いました。

しかも、です。
このオペラのメールを出したおかげで、しばらくご無沙汰していた人からの近況報告が届いたり、近々会うことになったり、うれしいことが広がっているのです。
まだお会いしたことのない、この挽歌の読者からも申込みの連絡がありました。
最近ちょっと疲れていたのですが、なんだか突然に気分が晴れてきました。

そういえば、この挽歌のおかげで知り合った人たちも何人かいます。
人は動けば必ず世界は広がるのです。
縁は見えないだけで、広く張りめぐらされていることをまた実感しました。

節子
そんなわけで、初めてのオペラに行ってきます。
節子がいないので少し、いや、かなり億劫ですが。

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■傍観者たちの世界

名古屋の河村さんは「独裁者」と言われだしているようです。
「独裁者」と一言で片づけるのは簡単ですが、昨日書いたように私たちの多くは「独裁者」を望んでいるとしかいえません。
なぜなら問題が自分に関わってこない限り、問題には関わろうとしない生き方をしているからです。
「独裁者」が悪いのではなく、独裁的なやり方を許す仕組みやそれを傍観していることが問題なのです。

昨日、テレビで「ニュールンベルグ裁判」をやっていました。
私が大好きな映画です。
繰り返し観ていますが、昨日も最後の部分だけ見ました。
そこでも「傍観者の責任」が問われていました。
ヒトラーを生んだのはドイツ国民であり、それを支えたのはたとえばイギリスのチャーチルであり、労働組合だったのです。
私の定義では、独裁者も傍観者も同義語ですし、権力者はすべて傍観者のなれの果てです。
竹原さんや河村さんは、私の定義では、そのいずれでもありません。

「ナラティヴ・アプローチ」という本に衝撃的な話が紹介されています。
アイヌであることを理由に子ども時代にいじめにあっていた女性の話です。
彼女はその後、ある大学の仕事につきますが、その関係でむかし同じ学校に通っていた少し年上の女性に会います。
その女性がこう言うのです。
「私はあなたと同じ小中学校に通いました。謝りたいことがあります。あなたがたがいじめられていることを知っていたのに止めることができませんでした」
それに対して、当の女性はこう言うのです。
「まだいじめられているほうがましだ。やり返すことができるから。私が嫌いなのはそれを横で見ているだけのあなたたちです。許すことはできません」
(「ナラティヴ・アプローチ」47頁)

私はこれを読んだ時、しばらく先に読み進めませんでした。
自分も傍観者の生き方をしているのではないか、そう思うと本など読んでいる場合かとさえ思ってしまいました。
私も傍観者が嫌いです。
子どもの頃からそういう生き方は意識的に避けてきたつもりです。
しかし実際にはどうでしょうか。

できることはたくさんあります。
小さくてもいいから、できることをきちんとやっていく、そんな生き方をさらにめざしていますが、時にそうした生き方から逃げたくなります。
大したことはやっていないのですが。
傍観者で構成されている社会は、私には退屈な社会です。

ちなみに、私は傍観者を信じません。
残念ながら私の友人知人の大半は傍観者的生き方をしています。
しかし、そうでない人もまた多いです。
私もそうならなければいけないと、いつも自分に言い聞かせています。

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■我孫子市市長選挙:公開されない公開討論会の映像

我孫子市はいま、市長選挙の真っ只中です。
先日、候補者の公開討論会が開催されました
多くの住民に見てもらいたい討論会でしたので、映像の公開を待っていました。
その映像がなかなか公開されません。
実は音声は公開されたのですが、音声だけでは聴く気にはなれないでしょう。
そこで映像がアップされるのを首を長くして待っていました。

ところが結局、映像はアップされないのだそうです。
この討論会を主催したのは、「2011年我孫子市長選公開討論会を開く市民の会」(代表 新保美恵子)です。
後援はこういう活動を全国に呼びかけているリンカーンフォーラムです。
当日は映像撮影禁止で、主催団体が映像を撮影していましたので、開催の趣旨からして当然、それが住民に公開されると思っていました。
ところが公開されないことになったのです。

当然、公開を要望する声は主催団体に届いています。
また候補者の両陣営も公開を了解しています。
そうした声に押されたのか、音声だけは公開されました。

ある人は、「手元の原稿を必死で読み聞かせていた現職の姿を見せたくないのではないか」と勘繰ったりしています。
それはともかく、少なくとも、そこには明確な「意思」が働いているように見えてしまいます。
私はこの団体も、その代表の新保さんも知りませんが、とても残念です。

日本の地域社会では、こうした中途半端なことがたくさん起こっているのです。
そのために、住民には自治体統治の実態は見えなくなっているのです。
それを見えるようにするのが、私はこれからの自治体議会議員の役割だと思っています。
いや国家政府の議員もそうなっていくでしょう。
これは20年ほど前に私も関わっていたリンカーンクラブのビジョンでもありました。
なかなかそう言う方向には行きそうもありません。

この記事は、私のホームページの「我孫子市長選挙コーナー」と重なっています。

*この記事に関しては当日コーディネーターをつとめた公認コーディネーターの方からコメントをもらいました。
最初はもう少し私的な義憤を書いていましたが、その方から

・動画配信が実現できませんでしたのは、主催者と私の技術的、もし くは時間的な問題によるものであってお書きになっている勘繰りや「映像を出さない」という「明確な意 志」に基づいてのものではない。
・むしろ、主催者は、我孫子市選管の消極的な見解を乗り越えて、公 開に踏み切ろうとしていたのが真実。
とのメールが来ました。
これも私には少し違和感がありますが、少し書き換えさせてもらいました。

またリンカーンフォーラムの関係に関しても次のコメントをもらいました。

リンカーンフォーラムとしては、
各主催者に対しては以下のようなアドバイスを行なうとともに、
http://www.touronkai.com/qa/option.htm#13公職選挙法自体の改正に努力いたしております。

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2011/01/17

■節子への挽歌1233:だれかの役に立つ

節子
ホームページ(CWSコモンズ)に今年の挨拶を書いたのですが、それを読んだ何人かの方からメールをもらっています。
今日もまたメールがきました。
昨年春からぷっつりと連絡がなくなり、少し気になっていた人です。

とても勇気づけられました。
昨年は、自分がしていることの意味が見出せず、底辺を歩伏前進しているようなことも多かったように思います。

思ったとおりの自分でないことを、それを体験したときに、瞬時に受け入れられるようになったら、
人間のいやな部分を目撃したときに、それを現実として瞬時に外在化することができるようになったら
もっと生き方が楽になるのだろうなあと思います。

まだまだ未熟極まりない私ですが、佐藤さんのおっしゃるとおりほんの少しでも誰かにお返しできれば、
また、もしそれができなかったとしても、生きていることに感謝することは、その瞬間とてもこころがやわらかくなりますね。

こういうメールを数名の方からいただきました。
「いつかだれかの役に立てるようになりたい」というようなことを書いてきた人もいます。

節子は、元気だったころ、私の役に立っていると思っていたでしょうか。
病気になってからはどうでしょうか。
元気な時はともかく、病気になってから節子は時々、私に謝っていました。
病気になってごめんね、とか、修の生活を拘束してごめんね、とか、一緒に旅行にいけなくてごめんね、とか・・・・。
思い出せばきりがありません。
涙が出てくるだけです。
もちろん私は謝る必要などまったくないよ、と言っていましたし、そう思っていました。

私にとっては、節子は生きる意味を与える人でした。
つまり、存在するだけで私の役に立っていたのです。
いつからそうなったのかはっきりしませんが、病気になる前からです。
そして病気になってから、そのことを改めて強く実感しました。
節子は、そのことをよく知っていました。
節子は私の駄目さ加減を、だれよりもよく知っていました。
だから、私より先に逝くことを一番謝っていたのです。
しかし、それは私たちが決めたことではありません。
決まっていたことなのかもしれません。

ただ言えることは、節子がどうであろうと、節子は私の生に意味を与えてくれる存在なのです。
そのことが最近よくわかってきました。

節子がいなくなったら私は生きつづけられるだろうかと思っていましたが、なぜか節子が逝ってしまっても、私は生きつづけました。
それを不条理なことと前に書いたような気もしますが、節子がもし私の生に意味を与える存在であるならば、それは「生死」には関係ないということが最近ようやくわかってきました。
いまなお私が生きつづけられていることも、なんの不思議もないことなのです。

節子にとって私がそうだったように、どんな人も必ず生きる意味を与えているだれかがいるはずです。
その人が見えないからといって、自らをおろそかにしてはいけません。
そして、逆にまた、私にとって節子がそうであったように、人はだれもが生きる支えにしている人がいるはずです。
そして私たちがそうであったように、支えると支えられる、あるいは生きる意味を与える、与えられるは、実は同じことなのです。

勇気づけられた、というメールをもらうと、私もとても勇気づけられます。
人の心はほんとうに響き合うようにできている。
最近そう実感することが多くなっています。
彼岸の節子の心にも響いているでしょうか。

節子、
彼岸に行っても、節子は私の生きる意味を生み出しつづけています。
ありがとう。
心からそう思います。

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■阿久根市の市長が変わりました

昨日の阿久根市の市長選で独裁市長と言われていた竹原さんが敗れました。
私の予想とは違っていましたが、これまでも私の予想は外れることが多かったので、まだ時代が私の感覚とは違うことを改めて実感しました。
かなり自分勝手な考え方ではありますが。
しかし、職員と市会議員を相手にして、よく健闘したとも感じます。

結果は竹原さんの敗北になりましたが、竹原さんは政治の世界や自治体の世界に、一石も二石も投じたように思います。
国政における政治家や官僚のやっていることがこの数年かなり見えてきましたが、多くの人たちは自分たちが住んでいる自治体の政治(行政)にはほとんど関心がありません。
というか、関心をもたせない仕組みが出来上がっているからです。
最高の統治技術は、被統治者に統治に関する問題を気づかせないことです。
よく選挙の投票率の低さが問題になりますが、投票率を低くしておくこともまた、統治者の常套手段なのです。
それが証拠に、投票率が高まるだけで、体制が変わる事例は少なくないのです。
軍政国家のようなところでは、投票率が高くなりそうだと感じると統治者は管理選挙に踏み切るわけです。

また話が脱線しました。
竹原さんの敗北の理由はいくらでも出せるでしょうし、彼が何が何でも勝とうと思えば、その方策はあったでしょう。
しかし彼は会えてその選択をしなかったのだろうと思います。
私の好きな発想です。

名古屋では今日、市議会解散の是非を問う住民投票が告示されました。
竹原さんに比べると河村さんは強かですから、名古屋ではたぶん河村さんの描いた方向に行くでしょう。
まあまた間違う可能性は高いですが、少なくとも河村さんはマスコミと上手く付きあっていますから、竹原さんよりも現実的、つまり革命的ではありません。
それに大都市ですから、直接の利害関係者は決して多くはないのです。

1月23日に、私の地元の市長選があります。
現職に対して、市議会議員が立候補しました。
28人の市議のうち、16人が現職の応援で、チラシにまで顔写真で登場しています。
それに対して、新たに立候補した市議の側には5人の市議しか応援していません。
残りの市議は勝ち馬に乗ろうと旗幟鮮明にしていない主体性のない人たちです。
その選挙に関心を持って、ささやかに関わらせてもらっていますが(もちろん私は現職ではない挑戦者を応援しています)、その活動によって地域の民度とか文化が見えてきます。

そして気がついたことがあります。
アメリカの占領政策下での自治行政の仕掛けは、日本の自治文化を壊すことだったのだということに、です。
竹原さんもきっとそれに気づいたのでしょう。

我孫子の市長選は23日です。
さてどうなりますか。
結果は私には明確にわかっていますが。

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■政治は悪の実践、権力は義務

昨日の新報道2001に民主党の小沢さんが出演していました。
実にわかりやすい、そして私には納得できる話をされていました。
なぜこのようにわかりやすい小沢さんがみんなから嫌われているのでしょうか。
不思議な気もします。

その一因は「政治とカネ」の問題とされています。
私には、それがなかなか理解できないので、困ります。

ジャン・ボードリヤールの最後の思想書と言われる「悪の知性」という本で、ボードリヤールはこんなことを書いています。

政治は悪の実践、管理の場である。
悪は個々人の魂と集合的形式のうちに、特権、悪徳、汚職、とあらゆるかたちをとって拡がっている。
この呪われた部分を引き受けるのが権力の宿命であり、またその犠牲になるのが権力の座にある人びとの宿命であるそれは、彼らがそこからあらゆる二次的利益を期待できる特権だ。
だが悪の実践は困難で、権力者はあらゆる手を用いてそれを放りだそうとしつづけていると考えられる。
ヨーロッパには、オブレス・オブレッジという考えがありますが、それはこのことを言い替えただけのこと話かもしれません。
しかし、では、そうした「投げ出したいほどの権力」をなぜ担わなければならないのか。

彼はこう続けています。

かつて権力は専制的で、そのことの対になっていたのが、権力の他所からくることであった。それは権力者の特性など考慮に入れず、上から割り当てられるものであって、いわば運命づけられていた。
権力は与えられるものであり、気に入ろうが気に入るまいが、それを行使することしかできない。
つまり、かつては権力は義務だったと、ボードリヤールは言うのです。
実にわかりやすいではないですか。
こう考えると、政治とカネの問題は、実は小沢さんに関して問題になっているような瑣末な話ではないのです。

ちなみに、ここで「権力」を「お金」と置き換えてもいいかもしれません。
お金を持つこともまた権利ではなく義務かもしれないと思うと発想がさらに広がっていきます。
私たちが見ているのは、世界のほんのわずかばかりの表象かもしれません。

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2011/01/16

■手が荒れてしまいました

体験してみないとわからないことはたくさんあります。

実は年末に娘が肺炎になってしまいました。
わが家は娘と私の父子家庭です。
娘は年末年始も点滴で病院通い、自宅では安静を求められていました。
そのため私が家事をやらないといけなくなりました。
といっても生活力のない私には調理などはなかなかできませんが、食器荒いとか掃除とか、まあそんなことくらいしかできません。
幸いにようやく娘の病状も回復し、もう大丈夫です。

この2週間、そんなわけで水を使う作業をかなりしました。
そのため、手指がかさかさになってしまったのです。
娘からそうならないようにハンドクリームをきちんとつけておくようにいわれていましたが、そんな面倒なことをする気にはなれません。
その結果、脂肪分が取れてしまい、手がかさかさになってしまったのです。

まあそれだけの話なのですが、家事の大変さを少し実感しました。
たかが食器洗いなのですが、手の荒れはかなりのものです。

何事も実際にやってみると大変さがわかります。
まあ家事くらいは大した事ではないのですが、世の中すべてそうでしょう。
体験してみないとわからないことはたくさんあるのです。
だからといって、なんでも体験できるわけではありません。
しかし、それぞれみんな大変なのだという意識があれば、社会は違って見えてきます。
批判するのは簡単ですが、まあみんなそれぞれに大変さがあるのです。
批判にも、そうした思いやりや配慮がなければいけないのかもしれません。

というようなことを考えていたから、この1週間、時評が書けなかったわけではありません。
単に時間がなかっただけのことなのですが、手が荒れたおかげで、忘れかけていたことをいろいろと思い出しました。

明日からまた時評もちゃんと書きます。

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■節子への挽歌1232:世界は極めてもろい存在です

節子
この冬はじめての雪です。
朝起きたら外の景色が白くなっていました。
昔は雪が降ったらうれしくて会社を休むほどでした。
しかしいまはただただ寒いだけです。
人間は歳をとると感受性が鈍ってくるようです。

雪にまつわる思い出もいろいろあります。
子どもたちが小さい頃は毎年、猪苗代にスキーに行きました。
会社を休んで雪ダルマをつくったこともあります。
しかし節子との思い出といえば、結婚の報告に出雲大社に行った帰りになぜか大山のスキー場に迷い込んだことでしょうか。

何回も書いていますが、私たちは結婚式をきちんとはあげませんでした。
結婚して数か月後に、節子の親戚対策で、節子の実家で式をあげましたが、それは自分たちのためのものではありませんでした。
結婚の誓いは出雲大社で行ない、それから鳥取などを数日旅行したのですが、今ではどこに行ったのかさえ、私には記憶がありません。
節子の当時の日記には書いているかもしれませんが、今はまだ読む気にはなれません。
いや最後まで読まないかもしれません。

当時はたぶん節子に夢中だったのでしょう。
ともかくほとんど記憶がないのです。
そのなかで何となくイメージに残っているのが、スキー場のゲレンデを革靴で歩いた記憶です。
それが現実のことなのかどうかは、節子がいなくなったいまはわかりません。
なにしろ私は記憶力があまりなく、過去のことへの興味がほとんどない人間なのです。
未来の記憶(そんなものはないと言われそうですが)のほうが、どちらかといえば、残っているのです。
しかし、その未来の記憶が実現したことはあまりありませんが。

人の思いから独立した客観的な世界がある、という考えは、いまではかなり疑問視されてきました。
それはそうでしょう。
今朝の雪景色にしても、人によってそこから受ける心象風景はまったく違います。
世界は、その一部でもある、そこにいる人の心との関わりあいの中で、それぞれの心の中に姿を現すのです。
大山のゲレンデを歩いた記憶が、現実のものだったかどうかは瑣末な話なのです。
いずれにしろ、私の記憶世界の中にはしっかりと残っているからです。

こうした話を節子にすると、節子はいつもさも感心したように聞きながらも、まったく聞き流していたことを思い出します。
しかし、そうした節子の姿もまた、私の頭で創作されたものなのかもしれません。
世界は極めてもろい存在です。

そのもろい世界での節子とのつながりが消えないようにしなければいけません。
そのためには、私の世界の中での節子には、もっともっと元気に跳びまわってほしい気もします。
私の世界から節子が消えたら、私の世界は私の世界ではなくなってしまうからです。

夕方には雪はほとんど解けてしまいました。
世界は極めてもろい存在なのです。

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2011/01/15

■節子への挽歌1231:いやな夢を見なくなりました

最近、節子の夢をよく見ます。
昨日は2人で旅行に行っている夢でした。
今朝はかなり鮮明に覚えていたのですが、いま思い出して書こうと思ったら、なぜか思い出せません。
その前の夜も、節子が夢に出てきましたが、なんの夢だったかさえ思い出せません。
もしかしたら、夢を見たこともまた夢なのかもしれません。
夢は本当に不思議です。

節子が元気だった頃、夢にうなされて目が覚めたことが何回かあります。
あまりの怖さに節子を起こして、笑われたことさえあります。
目覚めの悪い夢も時々見ました。
金縛りになったことも数回ありました。
非日常的な奇妙な夢もよく見ました。
夢は、私には苦手だったのです。

ところが、最近はそうした夢を一切見なくなりました。
以前と違って、私の夢はとても穏やかな、日常的な夢になっているのです。
心が平安になっているのでしょうか。
節子がいなくなったのに、心が平安になるというのはとても不思議ですが、最近見る夢はいつもあたたかく、穏やかなのです。
目覚めが悪いことはありません。
一人になった私を節子が守ってくれていると思いたくなるほどです。

夢ではないのですが、真夜中に突然目が覚めることはいまもよくあります。
しかし、目が覚めても、またすぐに眠れるようになってきました。
前にも書きましたが、夜の私の寝室は、とてもあたたかくて明るい感じがしてなりません。

ところで、節子の夢を見たと書きましたが、夢に出てくる節子は、姿かたちがあるわけではないのです。
正確に言えば、「気配」なのです。
自分の顔が自分には見えないように(鏡に映さないとみえません)、節子の姿も見えないのです。
しかし間違いなく節子はそこにいるのです。
夢の中では、節子と私は重なっているのかもしれません。
だから心が平安なのかもしれません。

夢でない現実でも、早くそういう気持ちになりたいと思っています。
残念ながら、いまはまだ、節子がいないのが寂しくて悲しくて、仕方がないのです。
つまり私の心身は、平安ではないのです。
夢の世界のようになれれば、どんなに幸せなことでしょうか。
そんなことを思うことも、時にあるのです。

さて今夜はどんな夢に出会うでしょうか。

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2011/01/14

■節子への挽歌1230:久しぶりの病院

節子
節子を見送ってから、なかなか近寄りがたかった病院に行ってきました。
といっても日大の歯学部の病院です。
親知らず歯が少し問題を起こしているので、昨年の春に歯医者さんから紹介されていたのです。

一人で大きな病院に行くのは久しぶりです。
節子が元気の時は、いつも節子が同行してくれましたし、節子が病気になってからはいつも私が同行していました。
病院の待合室が以前から私には苦手なのですが、節子を見送った後は病院そのものが苦手になりました。

節子を見送った1年後に、友人から病院関係の研究プロジェクトに誘われました。
私が以前立ち上げた、生活者の視点から病院を考えるヒポクラテスの会というのがあったのですが、そのメンバーからのお誘いでした。
当時は病院と聞いただけで心穏やかではありませんでした。
それで辞退させてもらいました。
しかし、3年経って、やっと病院にも行けるようになりました。

私と同じように、愛する人を見送ったことから病院に一時期、行きたくなくなった人がいます。
ホスピタルアートなどの活動に取り組んでいた高橋雅子さんです。
彼女の場合は、ご両親を見送った後、病院にある種の感情を持ってしまったようですが、彼女はしばらくして亡くなったご両親が逆に病院での活動を後ろから押してくれるような気がして、また病院の活動に戻られたそうです。
以前、挽歌でも紹介したハッピードール展は、高橋さんの活動の成果です。
もしかしたら、節子もまた、私に病院に関する活動をしてほしいと思っているかもしれません。
今日、病院の待合室でそれに気づきました。

ところで高橋さんはスロバキア国立オペラの東京公演に協力したことは、前に時評編で書きました。
その思いの良さに、オペラ嫌いの私も、その公演を応援していますが、なかなかチケットが売れません。
首都圏界隈の人で、もし行ってもいいという方がいたら、ぜひ高橋さんにお申込みください。
詳しくはブログをお読みください。私は21日に行く予定です。
何かが変わるかもしれません。

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2011/01/13

■節子への挽歌1229:世界が退屈な理由

湯島にまた人が戻り出してきました。
今日も20代から60代まで、さまざまな人が来てくれました。
節子がいたら、そのそれぞれの人について、いろいろと話ができて、世界を広げることができるのですが、私だけだとただ会うだけでその後の発展がありません。
まあ会うだけでも世界は広がるのですが、節子と後で話すと立体的に世界が広がったのです。
目が2つあるために世界が立体的に見えるように、心が2つあると世界の奥行きもまた豊かに広がるのです。
私たちは一緒に新しい人に会ったり、新しい場所に行ったり、新しい体験をしたりすると、必ずそれぞれの視点で話し合ったものです。
私も節子も単細胞的でしたから、まあ2人で一人前とも言えるのですが、それでも複数の目で見る世界はいつも豊かで楽しいものでした。

世界とのこうした付き合いが、節子がいなくなってからはできなくなってしまいましたが、もしかしたら、それが私の最近の退屈さの一因かも知れません。
最近どうも世界が退屈で仕方がないのです。

私と節子は、それぞれ育った環境も違いますし、関心事も違いました。
結婚した時の私たちの世界は、おそらくまったく違っていたのです。
にもかかわらず、私たちが比較的早い時期に、それぞれの世界を卒業して、2人の新しい世界を創れたのは、最初にお互いが自分を完全にさらけ出したからだろうと思います。
私たちほど隠しごとのない夫婦はいないね、とは、節子がよく言っていた言葉です。
早い時期にすべてを共有することで、何かを隠すことの必要がまったくなくなったからです。
同時に、それぞれの体験を容易に共有できるようになりました。
つまり、心が2つになったのです。
そのおかげで、世界はさまざまな意味を見せるようになりました。
退屈な政治も、節子と話していると、それなりに退屈ではなかったのです。

世界が退屈になったのが、節子がいなくなったからだとしたら、もう私にはわくわくする世界は2度と味わえないのかもしれません。
いろいろと面白そうな話が最近また見え出しているのですが、どうも以前のように心身が動かないのはそのせいかもしれません。

節子の存在は、実に不思議な存在でした。
最近それに気づいたのですが、考えれば考えるほど、その理由がわかりません。
なんで節子はそんなに大きな意味を持っていたのでしょうか。
あまり賢くもなく、それほど美人でもなく、節子がいつも自分でいいっていたように、私と同じで退屈な人柄だったのに、不思議というしかありません。
2人の世界が、あまりに見事に創れてしまったからかもしれません。

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2011/01/12

■節子への挽歌1228:地蔵菩薩からの贈りもの

節子
大きなブリが神崎さんから届きました。
先日、電話で「魚をさばけるか」と電話がありました。
ブリを送ると言うのです。
神崎さんは、このブログでも登場したことがあるかもしれませんが、お地蔵さんのような人です。
と言っても、自分でも言っているように、数年前までは任侠の世界の人でした。
その波乱に満ちた人生は、彼のブログをお読みください
節子に引き合わせられなかったのが実に残念ですが、体育会系の好きな節子にはきっと気があったでしょう。
もっとも節子は面食いでもありましたから、いささか微妙ではありますが。
何しろ神崎さんは見た感じからして、それとわかる風体なのです。
しかし正義の人である点では、間違いなく節子とは気が合ったはずです。

神崎さんに、自分でさばいたらいいじゃないかと言ったら、そんな面倒なことができるかと言われました。
指をつめるより簡単だろうと言いましたが、一人では食べきれないと言うのです。
そんなやりとりの挙句、結局、神崎さんは自分がもらうはずだったブリを私に送ってくれました。
地蔵菩薩が困っている人を救ってくれる話は本当なのです。
それが今日、届いたのです。
富山県氷見の立派な寒ブリです。
私一人では途方にくれたでしょうが、幸いにジュンがさばいてくれました。
ジュンは節子の娘ですから、何でも手前流でやってしまうのです。
私も手伝いましたが、なにしろ血を見るのが嫌いな私には不得手な作業です。

わが家には出刃包丁が2本あります。
そのうちの1本は私のです。
私が会社を辞めた時に、北九州市の収入役だった山下さんが私にくれたのです。
これからは自分で料理くらいしろと言うことだったのでしょう。
意気込んだ私は、節子に鯛を買ってきてもらいさばいてみました。
しかし、その後、私はニ度と魚はさばきませんし、節子もニ度と私には勧めませんでした。
なぜなら、その時さばいた鯛は見事に半分以上ごみになってしまったからです。

さばいているとどうしても節子の話題になります。
わが家には節子のエピソードは山のようにあるのです。
こうしていつまでも家族の話題になる節子は幸せ者です。
節子の話題を話せる残された者は、幸せなのでしょうか。
いささか微妙ではあります。

今日はブリシャブを初めとしたブリ三昧です。
節子が好きだったブリ大根やあら汁を節子にも供えることにしました。
節子も久しぶりに豪華な夕食です。
何しろわが家は普段はお茶だけしか供えていないのですから。

ところで、石鹸でよく洗ったのに、まだ手から生臭さが抜けません。
それとさばく時に見たブリに顔がまだ目の前にちらつきます。
心やさしい人に魚をさばかせるとは、地蔵菩薩も残酷なことをするものです。

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2011/01/11

■節子への挽歌1227:「節子だから許してくれるよ」

節子
寒くなりました。
雪のために、交通環境にも障害が発生し、いろんな問題も起こっています。
しかし、どういうわけか、わが家のある我孫子は毎日好天に恵まれています。
新年の挨拶にもかいたのですが、私のまわりはいつもあたたかい空気で守られているようです。

節子がいたころは、その年の目標や行事を新年に話し合ったり、決めたりしていたものですが、今年はそういうことの全くない年の始まりでした。
気がついて見たら、もう11日です。
節子がいなくなった途端に、節目の感覚が無くなってしまいました。

元旦の最初の食事で、節子は私にちゃんと挨拶をするように仕向けていました。
1年の計は元旦にあり、というわけです。
ところが私はそういうのがまったく駄目なのです。
それはハウスマネージャーとしての節子の役割だろうと逃げていましたが、節子がいる頃は一応、何か一言二言話していたような気もします。
しかし節子がいなくなった途端に、わが家からはマネージャーがいなくなりました。
今年は娘が肺炎だったこともありますが、けじめなく年を越し、けじめなく年を始めてしまいました。
節子はきっと嘆いていることでしょう。
そういえば、今年はお神酒もいただいていません、
仏壇にもあげていません。
困ったものです。

しかし、節子はそういう仕来りは気にはしていましたが、そのやり方には頓着しませんでした。
実に柔軟というか、いい加減というか、そのスタイルは何でもありという面ももっていました。
「心が入っていればいいのよ」というのが、節子の考えでした。
まあその「いい加減さ」は、私と同じなのですが、ですからわが家にはこういう言葉もあるのです。
「節子だから許してくれるよ」

というわけで、節子の位牌の前のお供えはなかなか替えてもらえませんし、お茶も時にもらえません。
しかし節子のことですから、まあ良しとしているでしょう、
立場が私と逆だったら、もっと手を抜かれていたかもしれません。
なにしろいい加減の節子ですから、
まあ私もきっとこう言っていたでしょう。
「節子だから仕方がないよね」

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2011/01/10

■節子への挽歌1226:「理解とは、そのなかで人が世界を有する出来事である」

「理解とは、そのなかで人が世界を有する出来事である」とは、異端の認知科学者マーク・ジョンソンの言葉だそうです。
認知科学の基本姿勢は、世界はそれを見る人から独立して存在するというものですが、私にとっての世界は、私がいればこそ存在するのであって、私の理解する世界は、おそらく他の人とは大きく違っているだろうと思います。
しかし人は(私もですが)、往々にして、みんな同じ世界に生きていると思いがちです。
私が、そのことを単に頭ではなく、心身で実感し出したのは、やはり節子を見送ってからです。
世界は一変し、他の人と話していても、なんだか別の世界にいるような気がよくしたものです。
最近は、そういう違和感はあまり持たなくなりました。
私と他者の世界の違いではなく、みんなそれぞれに違うのだということと、にもかかわらず、それに併せて、みんなの世界はしっかりと重なり合っているのだという気がしてきたのです。
それに同じ世界を生きる必要もありません。
私が節子と同じ世界に生きようとしたことは、私には悔いのないことですが、それは相手が一人、ただ1回だけのことだからこそ、できたことなのです。

「理解とは、そのなかで人が世界を有する出来事である」
節子がいればこそ、あるいは節子がいないが故にこそ、私の世界は私の世界でした。
その世界は決して私とは無縁にあるわけではありません。
私の考えや行動によって、世界は変わっていくでしょう。
私が生きる世界と私の思い(理解)と、深くつながっています。

挽歌を書き続けながら、その世界も私の理解もいろいろと変化していることを感じています。
私自身は、この挽歌を読み直すことはないのですが、書いていて感ずるのは、節子のことも、過去の事柄も、微妙に意味合いが変わってきているのではないかという不安です。
注意しないと、私の節子像は実像とは別のものになってしまっていくかもしれません。
いや娘たちによれば、もうすでに変わってきていると言われます。

しかし、どれが実像なのか、まあそんなことは意味のないことかもしれません。
節子もまた、私と同じように、いまなお生きつづけているのですから。

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2011/01/09

■節子への挽歌1225:ゆっくり歩くといろんなことを思い出します

節子
寒くなりました。
今日はチビタの散歩に行きました。
チビタも高齢なので、近所を少しまわってくるだけですが、速度が実にゆっくりなのです。
他の犬には追い抜かれてしまいます。

そう言えば、節子の散歩も同じでした。
実にゆっくり歩きました。
私には気がつかないようなゆるやかな上り坂も、節子には負担でした。
弱い立場にある人ほど、わずかばかりの辛さを実感できることを、私は節子との散歩で学びました。
しかし、その学びは、節子がいた頃に十分生かされたとは思えません。
節子への心配りは、今から思えば、反省することだらけです。
チビタの散歩をしながら、そんなことをまた思い出していました。

鉄道で旅行をする時に、目的地までの電車の時間をどう考えるかによって、旅の意味合いは変わります。
節子は道中も楽しむタイプでした。
ですから新幹線よりも在来線が好きでした。
もちろん遠くに行く時には在来線は無理がありますが、50歳になっても、友人たちと青春きっぷなどを楽しんでいました。
私もどちらかと言えば、ゆっくり道中を楽しむ旅が好きでした。

ところで、私の人生は途中を楽しむ人生だったのだろうか、と思うことがあります。
老後になったら、という発想は皆無でしたが、かと言って、その時々を十分に充実させていたかといえば、疑問です。
節子には、私の生き方は仕事ばかりのように映っていたような気もします。
一般的にいえば、夫婦の時間は決して少なくありませんでしたし、一緒に旅にもよく行きました。
しかし、今から思えば、節子はもっと私が仕事から解放されることを望んでいたことは間違いありません。
節子が病気になってからは、私は原則として仕事は一切受けませんでした。
しかし、それまでのつながりで断れないような仕事や相談には乗り続けましたし、NPOの支援活動も継続していました。
もしかしたら、節子は不満だったかもしれません。

いやいやそんなことはない、とも思います。
節子はいつも、私はいいからもっと他の人のことを考えたらと言ってもいました。
でもあれは本心だったのでしょうか。
彼岸で節子に再会したら、訊いてみようと思います。
節子のやさしさを思い出すと、やはりどうしても涙が出てきます。

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■子どもを社会で育てようなどというのはポルポトくらいだ

テレビで民主党の岡田幹事長と自民党の石原幹事長が話していました。
なにげなく聞いていたら、石原幹事長が驚くべき発言をしました。
「子どもを社会で育てようなどいうのはポルポトしかいない」
耳を疑いましたが、それに岡田さんが反論しましたので聞き違いではありませんでした。
石原幹事長は、それに対して声を落として、社民主義だと言うようなことをいっていましたが、こういう人がまだ政治家には残っているのです。
私がコメンテーターであれば、異議申立てしたでしょうが、榊原さんと北川さんがいましたが、何の異議申立てもしませんでした。
司会役のアナウンサーは意識さえしなかったでしょう。
やはり政治家のテレビ番組は精神衛生によくありません。

社会が子どもを育てるのは、日本のみならず生命体の社会の基本的な姿です。
そこをおろそかにしたが故に、今の日本の社会があるのです。

昔、ソーシャル・フォスターリズムというのを考えたことを思い出しました。
子どもは社会の中で育つのです。
決して親の「所有物」ではありません。
社民主義の発明でもないのです。

あんまり書く意味もないことですが、書いてしまいました。

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■中国人による土地購入の広がり

北海道の土地が中国企業に買われ出していることがまた話題になってきました。
この問題は数年前にも話題になった記憶がありますが、その後、報道が途絶え、昨年から今度は水不足問題とつながる形で報道されるようになってきました。
数年後の中国の水不足も話題になりだしました。

生命を維持するために不可欠なのは、土と水と光です。
それらはすべて個人所有の対象ではないはずですが、近代の所有概念はそれらさえ商品化するために所有概念を適用させつつあります。

もちろん日本でも土地の私有化は昔からありましたし、水争いの話があるように、水の所有権もありました。
しかし自然を切り取っての所有には、おのずと限界があります。
私が大学で最初に学んだことは、ローマ法的所有とゲルマン法的総有の発想でした。
あまりまじめな学生ではなかったので、私が大学で学んだのは3つほどしかありません。
リーガルマインド、総有、そして官僚制の3つです。
それだけ、といわれるかもしれませんが、その3つを学んだだけでも私の大学生活は意義がありました。

土地問題は総有に関わっています。
自然への所有権には限界があるという話です。
自然はつながっていますから、そのつながりの中で所有権の行使もおのずと制約を受けるはずです。
自分の土地だからと言って勝手に使えるわけではありませんし、その土地にある水源が土地所有者のものであるわけでもありません。
つまり、つながりのあるものは、本来所有の対象にはならないはずで(せめて区分所有というべきです)、それを便宜的に人工物に対する所有と同じ言葉を使っているだけの話なのです。

企業の経営資源は、人、物、金、情報とよく言われますが、それらは決して勝手に使っていいわけではありません。
すべてはつながっている物の一部だからです。
20数年前から、私はそうした話を話していますが、共感してくれる人はさほど多くはありません。
特に「金銭」に関してはほとんどいません。
しかし金銭は物ではなく、通貨システムという仕組みの一部なのですから、自然と同じように、すべてに影響があるのです。
それがなかなか理解されません。

水源目当てにもし中国資本が日本の土地を購入することができるのであれば、それは法制度に問題があるはずです。
いや、日本の社会のあり方に問題があるのです。
放置しているべきではないでしょう。

ベニスの商人の話を思い出します。
肉を切り取る権利は認めるが、血は対象ではないので、一滴たりとも流してはいけないのです。

私たちも、自らの所有権概念を見直さなければいけません。
すべては基本的にみんなのもの(コモンズ)なのです。
そこから一時的に借りているだけであることを忘れてはいけません。
お金を過剰に蓄財するなどは、もってのほかなのです。

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2011/01/08

■市民の市民による市民のためのオペラ

私はオペラを観劇したことがありません。
食わず嫌いなのかもしれませんが、どうも好きにはなれそうもないのです。
その私が、オペラを観に行くことにしました。
「スロバキア国立オペラ日本公演」です。

なぜ行く気になったかといえば、主催者の次のメッセージを読んだからです。

本場のオペラに惚れ込んだ一般市民が!
スロバキアの国立オペラに単独乗り込み!
まさかの直談判で超一流ソリスト達が奇跡の来日!
これは痛快な『市民の市民による市民のためのオペラ』。
奇跡を巻き起こすのは観客の皆さん一人一人です!
最初に案内をもらった時には全く行く気はなかったのですが、この言葉を読んで気が変わりました。
思い立って行動を起こした人は応援しなければいけません、
「スロバキア国立オペラ日本公演」の案内はここをクリックしてください。

主催は東京スロバキアオペラ交流の会となっていますが、その代表はWonder Art Productionの高橋雅子さんです。
高橋さんとの出会いは、彼女が取り組んでいるホスピタルアート活動に共感したことです。
高橋さんは昨年末にこのブログでも紹介したハッピードール展の企画者です。

ちなみにこのオペラに思いを込めて取り組んだのは小樽の長谷川洋行さんです。
そのあたりの経緯は、高橋さんのブログ長谷川さんのサイトを読んでください。
長谷川さんも無謀なら、その東京公演を引き受けた高橋さんも無謀です。
しかし、その「無謀さ」が、私は大好きなのです。
ここは私も協力しなければいけません。
オペラが嫌いだとか好きだとかは、そんなことは瑣末な話です。
思いを持った人が立ち上がったら応援しなければいけません、

ちなみに東京は3会場で公演しますが、その座席数は1350だそうです。
高橋さんによれば、まだあまり売れていないようです。

どうでしょうか、みなさん。
公演を観に行きませんか。
オペラ嫌いの私でさえ行くのですから、ぜひご検討ください。
スロバキア国立オペラのすばらしさは高橋さんのブログを読んでください。
オペラ好きの私の友人が、こんな安い料金でスロバキア国立オペラが観られるなんて信じられないと言っていました。

観に行きたいという方はぜひ高橋さんにメールしてください
私にでも結構です

ちなみに先ほど無謀にも市長選に立候補した坂巻さんの事務所で会った横手さんにこの話をしたら、彼も行くことになりました。
実は横手さんもオペラは苦手なそうですが、思いを込めた人は応援しなければいけないという私の考えに共感してくれました。
横手さんも無謀が好きらしいです。

東京での公演スケジュールは次の通りです。
詳しくは高橋さんたちのサイトを見てください。

■東京公演スケジュール
1月19日(水) なかのZEROホール(小ホール)
1月21日(金) 文京シビックホール(小ホール)
1月22日(土) 成城ホール
■開演19:00(開場18:30)
 第一部/オペラ「ラ ボエーム」(プッチーニ作)
 第二部/オペレッタとミュージカルからの歌、他
■入場料3,500円(当日4,000円)全席自由

しつこいですが、私はオペラが好きではないのです。
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
困ったものです。

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■節子への挽歌1224:節子が持っていった思い出

節子
今日もきれいな青空で、日向ぼっこ日和です。
年末年始とばたばたさが続き、お雑煮も1回しか食べられない、正月らしからぬ正月になりました。
初詣にもまだ行けずにいます。

一昨日、山積みの宿題を終わらせてホッとした途端に、今度は何もする気がなくなりました。
といっても、昨日も東京での会合に出たり、地元の選挙事務所にいったり、それなりの行動はしていますが、どうも気力が出ないのです。
年賀状もまだ白紙のままで机の上にあります。
毎年必ず新年の挨拶をするメーリングリストにも、まだ投稿できずにいます。
その気になれば、5分でできるのですが、その気にならないのです。
早く知らせなければいけないこともあるのですが、なぜかその気が起きません。
その理由はわかりませんが、こういうことが増えてきました。

そうした素直な気分にできるだけ従いながら生きようと思いだしていますので、したくないことはしないようにしていますが、そうすればするほど、心の中になにか不安感が高まるのです。
精神的にはよくありません。
こういう経験は節子がいた頃はなかったような気もしますが、年のせいかもしれません。

わが家は幸いに日当たりがいいので、冬でも青空があればあたたかい場所があります。
そこでぼんやりしていると至福の時間を過ごせます。
昔もこんな体験があるなと思い出しました。
海水浴にいって、浜辺で熱い太陽の下で波の音を聞きながら寝ていた時がそうでした。

前にも書いたような気がしますが、人類が最初に月に降り立った時、節子と2人で北茨城の海に泳ぎにいっていました。
北茨城のどこの海だったか思い出せませんし、第一、なんで北茨城なんかに泳ぎにいったのか不思議ですが、たぶん事実です。
民宿だったと思いますが、部屋のテレビでアポロの月面着陸を見ていました。
しかし当時の私たちは、そんなことよりも海で泳ぐほうに熱心でした。
砂浜で波の音を聞きながら、2人で並んで寝ていたことを思い出します。

とこう書いてきて、果たしてその思い出は事実なのだろうかとまた思いました。
実は北茨城での海水浴の思い出は、思いだすたびにそう思うのです。
探したらその時の写真はあるでしょう。
ですから間違いはないと思いますが、現実感がないのです。
私にはそういう記憶がいくつかあります。

節子は、私との思い出をたくさんつくりたいといっていました。
もしかしたら、私との思い出のいくつかは節子が彼岸に持っていってしまったのかもしれません。

陽だまりでうとうとしていたら、そんなことを考えてしまいました。
さて年賀状でも書きましょうか。

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2011/01/07

■今年後半から景気は回復するそうですが

経済3団体の新年祝賀会での経営者の発言をテレビで聞いていて、なんとまあこの人たちは能天気なのだろうと驚きました。
大方の人は今年後半には景気は回復するという考えのようです。
「アジア市場の果実を日本も享受する時代になった」というローソンの社長の発言も、「日本は高い付加価値のある商品の輸出や現地生産で対応していける」という昭和電工の社長の話も、印象的でした。
菅直人首相も国内の雇用や投資の拡大を呼びかけたようですが、これもまた私には印象的でした。

つまり、みんな自助努力をしようという気がないのと現実に貧困問題がこれほど広がっている現実には無関心なのです。

中国の市場が拡大すればローソンという会社は利益を上げるでしょう。
現地生産を増やせば、会社の業績は維持できるでしょう。
でもそれでいいのでしょうか。

私が会社に入った頃、経営者の責任は雇用の場を増やすことだという人が多かったような気がします。
わけのわからないメセナ活動や社会貢献活動などの話はあまり聞きませんでしたが、経済同友会も経営者の責任論を明確に議論し発表していました。
そして自らのリスクをかけて、技術的にもマーケティング的にも、イノベーションを進めていました。
数年前からまた財界が言葉だけのイノベーション論議をしていますが、いまの経営者には本気でイノベーションしようなどと思っている人はいないでしょう。
ただ自らの保身のために汲々している似非経営者が増えました。
だからこそ「イノベーション」を口にするのでしょう。
やっている人はそんな言葉を使いません。

若者が働きたくても働く場がない。
働く喜びを持てずに、むしろ働くことへの不安がある。
すでに企業に入って働いている人のメンタルヘルスは悪化している。
こういう状況を経営者はどう思っているのでしょうか。
せめてそうした現実への心遣いの言葉を発するべきではないかと私は思います。

つい最近まで経団連のトップだった御手洗さんのが経営していたキャノンの現実をマスコミはもっと報道すべきです。
どれだけの人が、そこで「モノ」のように扱われたかを、私たちはもっと知るべきです。
そういう実態を少しでも知っていたら、法人税減税などが「雇用の拡大」につながるなどという馬鹿げたことを考えないでしょう。

経済人は、新年祝賀会ではなく新年反省会を開催すべきです。
あまりの腹立ちに、1日、時間を置いて書いたのですが、やはり怒りがまた高まってきてしまいました。

ところで、今年後半から景気が回復するそうですが、だからなんだというのでしょうか。
私たちの暮らしもよくなるのでしょうか。

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■節子への挽歌1223:「元気になるかどうか、それが問題だ」

節子
今年の新年の挨拶に、次のような文章を書きました

。「希望を確信するのではなく、希望に感謝して生きたい」
これが、最近の私の信条です。
希望に感謝するとは生きていることに感謝することであり、
その「お返し」は、自分の生が他者に意味を与えることかもしれません。
自分の存在が、だれかを元気にするのであれば、これほどうれしいことはありません。
そして結局は、その元気は自らへと戻ってきます。
昨年は、そんな生き方ができたように思います。
そのおかげで、たくさんの人たちから元気をもらえました。
この文章を読んだ人たちから何通もメールをもらいました。
思いもかけなかった人からもメールをいただいたのには驚きました。
久しくお会いしていないデザイナーの田中さんは、
「佐藤さんのサイトを読んで元気をもらっています」
と書いてきてくれました。

先日わが家に来た呉さんも、元気な佐藤さんに会えてよかったと言ってくれましたが、
同じ日にインドネシアにいるチョンさんからも、佐藤さんは元気でないとダメだというようなメールがきました。
彼らが留学生だった頃、きっと私の元気が少しは役立っていたのでしょう。

それにしても、呉さんもチョンさんも前に話した時にはよほど私の気が萎えていたのでしょう。
私自身は、誰かに接する時の状況はあまり変わっていないような気がしているのですが、ある期間をあけて会ったり話したりすると、やはり違いが感じられるのかもしれません。
どうやら私は、どんどん元気になっているようです。

希望への感謝の思いが誰かを元気にし、それが自分も元気にしてくれる。
元気になれば、さらに周りを元気にしていける。
そんな「元気の循環」が、私の周りに生まれだしているような気がします。

しかし、ここでまた余計なことを書いてしまうのですが、
そうした元気が大きくなればなるほど、私の心身のどこかで、小さな声がするのです。
そんなに元気になっていいのか、
節子もいないのに、元気になると節子がさびしがるよ、と。

人の心の中には、たくさんの自分が住んでいるようです。
ハムレットではないですが、
「元気になるかどうか、それが問題だ」
なのです。

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2011/01/06

■節子への挽歌1222:帽子

節子
寒いので和室のコタツでパソコンに向かいました。
和室の床の間に節子の写真と帽子が乗っています、
意図して乗せているわけではなく、どうも片付ける気力がなくて、ただ3年前に仮置きしたままになっているだけなのです。
その節子の写真と帽子が、コタツに入ると目の前の位置に重なるようにして見えるのです。
写真は葬儀の時に使った写真です。
黒枠を白枠に変えようと思っているのですが、どうもその気さえ起きません。
節子の記憶の残る物は、何も変えたくないという意識が働いているのかもしれません。
あるいは、ただ怠惰なだけかもしれません。
まあ私にとってはどちらも同じことなのですが。

帽子は、節子が病気になってからの旅行によくかぶっていたハンティングです。
私の好きな帽子です。

節子の服装の趣味は、正直、あまりよくありませんでした。
私との趣味の違いもありましたが、節子の好みはちょっと変わっていました。
ふた昔前か、ふた昔先のファッション感覚でした。
どうみても今風ではなく、お洒落でもありませんでした。
しかし、帽子だけは私と好みが合いました。

私は帽子をかぶっている節子がとても好きでした。
麦藁帽でもキャップでも、節子は帽子が似合いました。
その最後の帽子が床の間に置かれているのです。
そのハンティングは、しかしあまりかぶられることはありませんでした。
その最後のハンティングをかぶって、一緒に旅行したのは、おそらく数回だけです。
その一世代前のハンティングはどこにいったのでしょうか。
もしかしたら捨ててしまったのかもしれません。

最近、ようやく節子のことを冷静に思いだせるようになりました。
しかし、思い出していると涙が出てくるのは、今もなお変わりません。
帽子と写真を見ていると涙で風景がかすんできます。
そして節子が帽子を手にとってかぶってしまうような気がしてきます。

最近また節子に無性に会いたくなっています。
この先、何年、この寂しさに耐えなければいけないのでしょうか。
誰かに愛されている人が先立つことは、やはりよくありません。
先に逝くのは、愛する人でなければいけません。
節子はそれを間違ってしまったのです。
それとも節子は私以上に私を愛していたのでしょうか。
そんなはずはありません、

私の最後の旅立ちには、この帽子を持たせてもらうことに決めました。

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■政治におけるゼロサム発想の意味

昨今の政治の問題は「ゼロサム発想」のないことかもしれません。
そのため結果的にバラマキ型になり次世代からの借金になっていきます。
その発想はまさに昨今の金融資本主義の発想の枠組みと同じです。
ゼロサム状況からいかに抜けるか、ガその発想の原型です。
それはいうまでもなく、持続可能性とは反対ですから、その発想の持ち主はみんな「持続可能性が大切だ」と言います。
しかしだれも本気でそんなことは考えていないでしょう。
もし考えていたら、ゼロサム発想に戻るべきなのです。
そしてゼロサム発想の中にいる人は、決して「持続可能性」など口にしません。
それは当然のことであり、意識する必要などないからです。

マクロでの発想はゼロサムを基本にすべきだと、私は思っています。
私たちは所詮は閉鎖系の世界に住んでいるのです。
宇宙開発を進めてもエントロピーの世界を広げることはありません。
しかし、個人の生活はゼロサム発想で考える必要はありません。
誰かを犠牲にするという良心の呵責を感じない形で、自らの世界を豊かにすることは十分に可能だからです。

社会や組織を統治する立場にある人は、ゼロサム発想を意識するべきです。
つまりそこで重要になるのは「選択」です。
それが「政策」「戦略」ということでしょう。
ところが、覚悟がない人は「選択」ができません。
私は「選択」ができるかどうかがリーダーの条件だと考えています。
政治家はリーダーでなければいけません。
にもかかわらず最近の政治家は選択できません。
大きな声に影響を受けてしまうのです。
私が、小沢さんに好感を感ずるのは、彼が選択しているからです。
国民から嫌われようとおかまいなしに、自らを通しています。
小沢さんの発想の根底に、私はゼロサム発想を感じます。
少しひいき目かもしれませんが。

それは国政に関わる政治家に限ったわけではありません。
いま地元の市長選挙にささやかながら関わっていますが、そこで気づいたのが「ゼロサム発想」の視点です。
なぜ政治に緊張感がなくなり、政策や戦略が不在になったのか、退屈な施策リストがマニフェストなどおかしな呼び方がされるようになったのか、行政評価などと言うごまかしがなぜ広がったのか、その理由が少しわかってきました。

住民の立場からのまちづくり、コンサルタントの立場からのまちづくり、行政の視点でのまちづくり、これまでいろいろな立場で地域の問題に関わってきましたが、今回、市長選にささやかに関わったおかげで、また別の側面が見えてきました。
立場によって、見えている世界が違うことの意味はとても大きいです。

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■政治への期待の喪失

政治家が住んでいる世界はどうも私たち生活者とは違う世界のようだと、最近多くの人が気づきはじめたのではないかと思います。
最近の菅首相や小沢さんの発言を聞くにつけ、そう感ずる人は増えているでしょう。
何も考えてこなかったテレビのキャスターたちも、さすがに最近はそういう発言をし出しました。
まあ、かれらもまた生活者とは違う世界に生きているようにも思いますが。

学者が実際の世界とは別の世界に住んでいることはよく言われることです。
同じ世界に住んでいたら学問は発展しません。
実際の経済を全く知らない経済学者、経営を全く知らない経営学者の話は、もう常識でしょう。
実際の世界を知っていたら経済学も経営学も成り立ちません。
彼らの役割は、別のところにあるのです。

同じことが政治にも言えます。
実際の生々しい現実に立脚し、個々の事情を斟酌しだしたら、統治はできません。
そんなことをしていたら、コラテラルダメッジに対して躊躇してしまい、全体にもっと大きなダメッジを与えてしまうからです。
と、思っているのです。
もちろん私は違う考えを持っています。

小沢さんが「生活視点」という場合の「生活」と個々の生活者が考えている生活とは違うものなのでしょう。
マスとしての生活と表情のある個別の生活は、違う世界の話です。
にもかかわらず、同じ言葉で語られるが故に、私たちは勘違いしがちです。
そして、その勘違いをうまく活かしながら、政治は生活者の世界とのつながりをつくりだしてきたのです。
政治に不満があっても、生活者が期待を持てたのは、そのおかげです。

しかし、ここまでその違いがあからさまになると、政治への見方が変わり、政治への期待の喪失が起こるかもしれません、
期待が変わるとどうなるか。
その結果の不幸な事例は歴史の中にたくさんあります。
そんな事態が、いま日本で始まっているのではないか、そんな不安が拭えません。

首相がテレビキャスターに追い詰められている姿は、私はあまり見たくありませんでした。
質の悪いポピュリズムあるいは民主主義の崩壊の始まりを感じます。
時評へのモチベーションが維持できないでいます。
私自身の心が衰えているからでしょうが。

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2011/01/05

■節子への挽歌1221:うれしさと悲しさの共存

節子
今日は台湾の呉さんがやってきました。
7年ぶりでしょうか。
前回は節子もまだ元気でした。

呉さんとの縁は、節子と一緒に湯島で留学生たちのための集まりを毎月やっていた時にできたものです。
呉さんは毎月やってきました。
正月にはわが家にまで来てくれました。
呉さんが台湾に帰国してしばらくしてから結婚式の知らせが届きました。
相手も湯島の留学生サロンに参加したことのある人でした。
台湾での結婚式にはとても興味があったのですが、当時は私もいろいろと仕事をしていたため、その当日がどうしても調整できない用事が入っていたため行けませんでした。
今から思えば、誰かに代わってもらえたのでしょうが、当時の私の価値観はいまとは違っていたのです。
私は滅多に後悔しない性格だったのですが、このことだけは後になってとても後悔しました。

節子は台湾に行ったことがありませんでした。
一度行こうと言いながら、なかなか機会がなく、病気になってしまってからは、少し良くなったらまずは近場の台湾から旅行をしようと話していました。
呉さんからも何回もお誘いがありました。
もう少し良くなったら、といいながら、結局、台湾旅行は実現しませんでした。
そのことも悔いとなって残っています。

久しぶりの呉さんはだいぶ太っていました。
留学生サロンに集まっていたなかで、最もビジネスには向いていない若者でしたが、いまは台湾の高雄で会社をやっています。
しかしあまりの人の良さに、いささか心配ではあります。
イベントなどの記念品のバッジやストラップなどを製作している会社ですので、もしそういう話があればご連絡ください。
愛知万博ではだいぶ注文をもらったそうです。

呉さんはご夫妻で来日されたのですが、奥さんは昔、わが家のある我孫子の渋谷さんというお宅にホームステイしていたそうです。
それで彼女は渋谷さんのところに、彼はわが家に来たのです。
それぞれの話が終わった後で、彼女にも会いました。
彼女とは15年ぶりくらいでしょうか。

節子がいたらどんなに喜んだことでしょうか。
それを思うと、呉夫妻に会えたうれしさと同じほどの哀しさを感じました。
うれしさと悲しさは、共存するのです。
節子を見送ってから、よく体験することです。

でもまあ、節子はきっと喜んでいるでしょう。
節子は、とても素直で人の良い呉さんがとてもお気に入りだったのです。
呉さんは節子の位牌にお線香をあげてくれました。

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2011/01/04

■節子への挽歌1220:「鶏は三歩歩けば忘れる」

私たちは2人ともあまり物覚えがいいほうではありませんでした。
私は他の人からは記憶力が良いと思われているのですが、実際はそうではないのです。
そもそも検事志望の私がそれを諦めたのは、司法試験は法律を覚えないと駄目だと言われたことが理由でした。
私が物覚えが悪いのは、細かなことにはあまり興味がなく、全体像を感覚的に覚えてしまうからなのです。
みんなからは誤解されがちですが、私は左脳的ではなく右脳的なのです。
少し付き合ってもらえると、たぶんわかってもらえると思います。

節子が物覚えが悪いのは、酉年生まれだからです。
「鶏は三歩歩けば忘れる」と言われます。
節子の場合は、もう少し持ちましたが。
先日、なぜか娘がこの話を持ち出したのです。
物覚えが悪いことは、私と同じく、節子も自認していたのです。

物覚えが悪いことは、性格が悪いことと違って、恥ずべきことではありません。
それに物覚えのよすぎる人のほうが付き合いにくいですから、まあ物覚えはほどほどに悪いほうがいいのです。
しかし、人間は勝手なもので、自分も物覚えが悪いくせに、相手が肝心なことを覚えていないと腹が立つものです。
しかも、自分が「肝心だ」と思っていることと相手が「肝心だ」と思っていることとは、往々にして一致しないものです。
そんなわけで、私たちはよく夫婦喧嘩もしました。
しかし、物覚えのよくない節子が、私は好きでした。

その物覚えの悪い私が、なかなか節子のことを忘れられません。
彼岸にいる酉年の節子は、もしかしたらもう私を忘れているかもしれませんが、此岸の私は忘れられずに、うじうじしているわけです。
ちなみに私は蛇年ですから、しつこいのです。
鳥など簡単に飲み込んで消化してしまえるはずですが、どうもそうはいきません。

今年もまた、心身から離れない節子のことで人生を棒にふりそうです。
困ったものです。

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2011/01/03

■節子への挽歌1219:はじまり

「ノウイング」という映画をテレビで観ました。
最近流行の「地球滅亡もの」の一種です。
滅亡の原因は太陽の爆発です。
きちんと見ていなかったので記憶が曖昧ですが、映画に出てきて生命の保存役を果たすのがプレアデス星人のようです。
プレアデス星団は、地球から400光年離れた星団ですが、宇宙人の出身地としてよく出てくる星で、地球人類の祖先という説もあります。

まあこの種の話は、節子はあまり興味がありませんでしたが、今となっては節子のほうが詳しいかもしれません。
なにしろ彼岸では、太陽系もプレアデス星団も同じ時空間に織り込まれているのでしょうから。
今頃、節子もプレアデス星人と付き合い出して、「修の言っていたことはほんとだったのだ」と驚いているかもしれません。

しかし、そんなことは、今日、書こうと思ったことからいえば、どうでもいいことです。
「ノウイング」では、地球の滅亡を知ったプレアデス星人が人類を残すために2人の子どもを選んで宇宙船で新しい星に移転させるのですが、その2人以外の人類は、太陽の熱で地球もろとも焼尽されてしまうのです。
その直前、主人公は長年疎遠だった両親の元に帰ります。
牧師の父は、これは終わりではなく始まりだというのです。
すべてが太陽に焼き尽くされることが、なぜ「始まり」なのかわかりませんが、なぜか奇妙に納得してしまいました。
仏教では、死は次の輪廻の始まりになるわけですが、この映画にあるのはキリスト教的世界ですから、次の天地創造を示唆しているのかもしれません。

節子を見送る行事は終わった時、身勝手にも私は、すべての世界が終わればいいと思いました。
それは私自身の中で、すべてが終わったという感覚があったからでもあります。
しかしその念は必ずしも強くなく、世界はおろか私自身も終われませんでした。
伴侶を失った後、自らの生を自然に終わらせる人がいますが、そういう人の話を聞くとちょっとうらやましくもなります。
残念ながら私の場合は、いまなお生きつづけています。

死は始まりなのだという牧師の言葉は、奇妙に心に残りました。
つまり、死は新しい生への入り口なのです。

死からはじまる世界。
節子は、私に先んじてその世界を始めました。
どんな楽しい体験をしているのでしょうか。

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■国家財政赤字の解消法

昨年末のサロンで日本の国の借金が話題になりました。
850兆円を超えるといわれる国家の借金の意味が私にはどうも理解できません。
みんな大変だといいますが、どうもピンとこないのです。

一方で、日本の個人金融資産は1400兆円を超えています。
その多くは、富裕層が蓄財しているもので、おそらく流動性を失った資産でしょう。
ある本によれば、1億円以上持つ個人が世界中に950万人いて、そのうちの6人に1人、150万人が日本人だそうです。

最近の日本の経済の仕組みは、富裕層にお金がたまるようになっています。
日本では経済が好況になっても、まじめに働いている人にはお金は回ってきません。
それが証拠に、この数年、経済格差は広がる一方です。
法人税の減税などにより、その傾向はますます強まります。
消費税増税も、そうした傾向を加速させるでしょう。
日本の財界は、人間から生き血を吸うほどの強欲な経済人で占められだしていますから、その流れはなかなか変わりません。
そういう状況の中で、日本の富裕層の不労所得はどんどん増えているわけです。

国家金はいったいだれからお金を借りているのでしょうか。
国債ももっていない私は国にお金は貸していませんが、僅かばかりの銀行預金の一部が国に貸し出されているかもしれません。
先に述べた1億円以上の資産をもつ人たちの金融資産は400兆円だとも言われています。

日本の場合、国の借金の債権者の多くは国内にいるようです。
だとしたら、そうした国家の仕組みの中で蓄財した、特に使う当てもない人の持つ債権を放棄してもらったらどうでしょうか。
そもそもお金は使うところに本来の意味がありました。
使うことをサボっている人の資産はなくなっても困らないでしょう。
むしろ資産管理などに余計な気を使わないですみますから、感謝されるかもしれません。

めちゃくちゃな理屈のように思えるかもしれませんが、私にはとても納得できる発想です。
花見酒の落語をご存知の方も多いと思いますが、最近の日本の財政赤字は、それとどこか似ているような気がするのです。
それに、たかが人間が考えた取引決済手段の問題なのですから、ルールをちょっと変えればいいだけの話です。
実体経済よりも帳簿上の経済が幅を利かせているような、本末転倒の状況は変えなければいけません。

あまりに私が経済に無知なのでしょうか。
借金時計で危機感をあおる人もいますが、借金を放置することで不労所得を儲けさせている状況にこそ、目を向けさせるべきでしょう。
借金時計のまやかしに騙されて、その手先になってはいけません。

誤解があるといけませんが、私は借金を肯定しているのではありません。
借金は基本的に反対の立場です。
預金や蓄財にも、あまり良い評価は持っていません。
お金は使うためにあるのであって、貯めるためにあるのではないという考えの持ち主です。

私が問題にしているのは、借金漬けにしておくことで、そして借金の危機感をあおることで、ますます不労所得が増大する人がいることなのです。
そして、その仕組みによって、不労所得を増やす人たちに、その不労所得の一部を放出してもらったらいいのではないかということです。
国家財政赤字の利子の額の大きさには驚きます。

数字の裏づけがありませんが、その気になれば解決策はおそらくそう難しくなく設計できるように思います。

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2011/01/02

■節子への挽歌1218:「愛する愛」と「愛される愛」

鈴木章弘さんが、昨年、心に響いたことばのひとつとして、次の言葉を年賀状に書いてきてくれました。

生きるのに必要なものだけを持ち歩く身軽な旅は、エネルギーを高め、活力を与えてくれる。簡素こそが幸せの秘訣なのだ。
ナチュラリストの探検家ピーター・マシーセンの言葉だそうです。
たしかに旅の場合はそうだと思います。
私も旅行の荷物は決して多くはないほうです。

しかし、人生という旅ではどうでしょうか。
「愛」は荷物でしょうか。
そして、生きるのに必要なものでしょうか。

昨年、愛と執着について書きました。
愛がなければ執着は生まれない。
愛から生まれる執着からどう解放さえるか。
それが輪廻の輪から解脱することだと仏教は説いています。
もう少し続きを書こうと思いながら、終わっていたことを思い出しました。

愛がなければ執着は生まれませんが、
愛がなければ人生には意味がありません。
愛を捨てることが執着を捨てることではないような気がします。

愛には2種類あります。
「愛する愛」と「愛される愛」です。
私は「愛すること」が好きなタイプです。
愛されるのは面倒ですが、愛するのは簡単だからです。
この2つの「愛」は、同じ「愛」と言う言葉ですが、まったく別のもののような気がします。
それに関しては、いつかまた書こうと思いますが、
今日の問題は、人生において荷物になるのはどちらの「愛」か、という話です。
これは悩ましい問題ですが、解脱につながる話かもしれません。

ナチュラリストのマシーセンは、自然を愛したはずです。
そして、そうした愛があればこそ、旅を続けられたような気がします。

つまり、「愛する愛」は荷物にはならないのです。
それに対して、「愛される愛」は荷物になります。
その荷物の重さに耐えかねて、旅に出る人さえいるのです。

簡素こそが幸せの秘訣。
この言葉の意味をもう少ししっかりと考える必要があるような気がします。

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2011/01/01

■節子への挽歌1217:心の中で家内を茶飲み友達にしていきます

節子
今年も穏やかな年明けでした。
例年通り、屋上から手賀沼に上がる初日の出を見ました。
初日が出てきた途端に、あたりがあたたかな雰囲気で満たされ、幸せな気分になります。
久しぶりに、そのあたたかさを感じました。
節子のいないお正月も、今年で4回目です。

届いた年賀状を見ていたら、「これからは心の中で家内を茶飲み友達として前向きに生きていきます」と書いている年賀状に気づきました。
Yさんからの年賀状です。
そういえば、Yさんもたしか一昨年、奥様を見送ったのです。
Yさんは、この文章を手書きで書き添えています。
ということは、たぶん私を意識して書いてくれたのです。
私が節子を見送ったことを知ってくれているのでしょう。
にもかかわらず、私はYさんのことを忘れていました。
自分のことになるとしっかりと記憶にとどめられるのに、他者のことは心に残っていない自分の薄情さに驚きます。
恥ずかしい限りです。

Yさんはなぜわざわざ手書きで書いたのでしょうか。
文字で書くことで、心の中の奥様が生き生きと見えてくるからではないかと思います。
私の場合はそうです。
書いたり話したりすると、安心するのです。
私の心身にも節子は宿っている気がしますが、こうやって文字にすると、その気がより確かなものになるのです。
人の思いは、形になればなるほど、実感しやすくなるのです。

届いた年賀状のなかには、節子の友だちからのものも少なくありません。
宛先は私になっていますが、ほんとうは節子に宛てて書いているのでしょう。
そこに書かれたわずかばかりの文字の向こうに、節子が見えるような気がします。

節子と最後に行ったイラン旅行でご一緒した弁護士のNさんからも届きました。
Nさんからの手紙を読むと必ず、節子と一緒に歩いたシラーズの橋を思い出します。

節子は年賀状が好きでした。
陽だまりのなかで、1枚1枚、年賀状を読んでいる節子の姿を思い出します。
節子の年賀状と私の年賀状は、意味が全く違いました。
だから節子がいなくなったいまも、実質的には節子宛の年賀状が届くのです。
今年は、私も節子のように、1枚1枚の年賀状を読みました。

私にも少し心の余裕が生まれだしたのかもしれません。
実は節子がいなくなってから、私は年賀状が書けなくなっているのです。

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■2011年のはじめに

新しい年が始まりました。
ホームページに年の初めの思いを書きました。
今年はどんな年になるか楽しみです。
Hatsuhi11_3


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