■節子への挽歌1224:節子が持っていった思い出
節子
今日もきれいな青空で、日向ぼっこ日和です。
年末年始とばたばたさが続き、お雑煮も1回しか食べられない、正月らしからぬ正月になりました。
初詣にもまだ行けずにいます。
一昨日、山積みの宿題を終わらせてホッとした途端に、今度は何もする気がなくなりました。
といっても、昨日も東京での会合に出たり、地元の選挙事務所にいったり、それなりの行動はしていますが、どうも気力が出ないのです。
年賀状もまだ白紙のままで机の上にあります。
毎年必ず新年の挨拶をするメーリングリストにも、まだ投稿できずにいます。
その気になれば、5分でできるのですが、その気にならないのです。
早く知らせなければいけないこともあるのですが、なぜかその気が起きません。
その理由はわかりませんが、こういうことが増えてきました。
そうした素直な気分にできるだけ従いながら生きようと思いだしていますので、したくないことはしないようにしていますが、そうすればするほど、心の中になにか不安感が高まるのです。
精神的にはよくありません。
こういう経験は節子がいた頃はなかったような気もしますが、年のせいかもしれません。
わが家は幸いに日当たりがいいので、冬でも青空があればあたたかい場所があります。
そこでぼんやりしていると至福の時間を過ごせます。
昔もこんな体験があるなと思い出しました。
海水浴にいって、浜辺で熱い太陽の下で波の音を聞きながら寝ていた時がそうでした。
前にも書いたような気がしますが、人類が最初に月に降り立った時、節子と2人で北茨城の海に泳ぎにいっていました。
北茨城のどこの海だったか思い出せませんし、第一、なんで北茨城なんかに泳ぎにいったのか不思議ですが、たぶん事実です。
民宿だったと思いますが、部屋のテレビでアポロの月面着陸を見ていました。
しかし当時の私たちは、そんなことよりも海で泳ぐほうに熱心でした。
砂浜で波の音を聞きながら、2人で並んで寝ていたことを思い出します。
とこう書いてきて、果たしてその思い出は事実なのだろうかとまた思いました。
実は北茨城での海水浴の思い出は、思いだすたびにそう思うのです。
探したらその時の写真はあるでしょう。
ですから間違いはないと思いますが、現実感がないのです。
私にはそういう記憶がいくつかあります。
節子は、私との思い出をたくさんつくりたいといっていました。
もしかしたら、私との思い出のいくつかは節子が彼岸に持っていってしまったのかもしれません。
陽だまりでうとうとしていたら、そんなことを考えてしまいました。
さて年賀状でも書きましょうか。
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