■政治は悪の実践、権力は義務
昨日の新報道2001に民主党の小沢さんが出演していました。
実にわかりやすい、そして私には納得できる話をされていました。
なぜこのようにわかりやすい小沢さんがみんなから嫌われているのでしょうか。
不思議な気もします。
その一因は「政治とカネ」の問題とされています。
私には、それがなかなか理解できないので、困ります。
ジャン・ボードリヤールの最後の思想書と言われる「悪の知性」という本で、ボードリヤールはこんなことを書いています。
政治は悪の実践、管理の場である。ヨーロッパには、オブレス・オブレッジという考えがありますが、それはこのことを言い替えただけのこと話かもしれません。
悪は個々人の魂と集合的形式のうちに、特権、悪徳、汚職、とあらゆるかたちをとって拡がっている。
この呪われた部分を引き受けるのが権力の宿命であり、またその犠牲になるのが権力の座にある人びとの宿命であるそれは、彼らがそこからあらゆる二次的利益を期待できる特権だ。
だが悪の実践は困難で、権力者はあらゆる手を用いてそれを放りだそうとしつづけていると考えられる。
しかし、では、そうした「投げ出したいほどの権力」をなぜ担わなければならないのか。
彼はこう続けています。
かつて権力は専制的で、そのことの対になっていたのが、権力の他所からくることであった。それは権力者の特性など考慮に入れず、上から割り当てられるものであって、いわば運命づけられていた。つまり、かつては権力は義務だったと、ボードリヤールは言うのです。
権力は与えられるものであり、気に入ろうが気に入るまいが、それを行使することしかできない。
実にわかりやすいではないですか。
こう考えると、政治とカネの問題は、実は小沢さんに関して問題になっているような瑣末な話ではないのです。
ちなみに、ここで「権力」を「お金」と置き換えてもいいかもしれません。
お金を持つこともまた権利ではなく義務かもしれないと思うと発想がさらに広がっていきます。
私たちが見ているのは、世界のほんのわずかばかりの表象かもしれません。
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