■節子への挽歌1232:世界は極めてもろい存在です
節子
この冬はじめての雪です。
朝起きたら外の景色が白くなっていました。
昔は雪が降ったらうれしくて会社を休むほどでした。
しかしいまはただただ寒いだけです。
人間は歳をとると感受性が鈍ってくるようです。
雪にまつわる思い出もいろいろあります。
子どもたちが小さい頃は毎年、猪苗代にスキーに行きました。
会社を休んで雪ダルマをつくったこともあります。
しかし節子との思い出といえば、結婚の報告に出雲大社に行った帰りになぜか大山のスキー場に迷い込んだことでしょうか。
何回も書いていますが、私たちは結婚式をきちんとはあげませんでした。
結婚して数か月後に、節子の親戚対策で、節子の実家で式をあげましたが、それは自分たちのためのものではありませんでした。
結婚の誓いは出雲大社で行ない、それから鳥取などを数日旅行したのですが、今ではどこに行ったのかさえ、私には記憶がありません。
節子の当時の日記には書いているかもしれませんが、今はまだ読む気にはなれません。
いや最後まで読まないかもしれません。
当時はたぶん節子に夢中だったのでしょう。
ともかくほとんど記憶がないのです。
そのなかで何となくイメージに残っているのが、スキー場のゲレンデを革靴で歩いた記憶です。
それが現実のことなのかどうかは、節子がいなくなったいまはわかりません。
なにしろ私は記憶力があまりなく、過去のことへの興味がほとんどない人間なのです。
未来の記憶(そんなものはないと言われそうですが)のほうが、どちらかといえば、残っているのです。
しかし、その未来の記憶が実現したことはあまりありませんが。
人の思いから独立した客観的な世界がある、という考えは、いまではかなり疑問視されてきました。
それはそうでしょう。
今朝の雪景色にしても、人によってそこから受ける心象風景はまったく違います。
世界は、その一部でもある、そこにいる人の心との関わりあいの中で、それぞれの心の中に姿を現すのです。
大山のゲレンデを歩いた記憶が、現実のものだったかどうかは瑣末な話なのです。
いずれにしろ、私の記憶世界の中にはしっかりと残っているからです。
こうした話を節子にすると、節子はいつもさも感心したように聞きながらも、まったく聞き流していたことを思い出します。
しかし、そうした節子の姿もまた、私の頭で創作されたものなのかもしれません。
世界は極めてもろい存在です。
そのもろい世界での節子とのつながりが消えないようにしなければいけません。
そのためには、私の世界の中での節子には、もっともっと元気に跳びまわってほしい気もします。
私の世界から節子が消えたら、私の世界は私の世界ではなくなってしまうからです。
夕方には雪はほとんど解けてしまいました。
世界は極めてもろい存在なのです。
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