■節子への挽歌1220:「鶏は三歩歩けば忘れる」
私たちは2人ともあまり物覚えがいいほうではありませんでした。
私は他の人からは記憶力が良いと思われているのですが、実際はそうではないのです。
そもそも検事志望の私がそれを諦めたのは、司法試験は法律を覚えないと駄目だと言われたことが理由でした。
私が物覚えが悪いのは、細かなことにはあまり興味がなく、全体像を感覚的に覚えてしまうからなのです。
みんなからは誤解されがちですが、私は左脳的ではなく右脳的なのです。
少し付き合ってもらえると、たぶんわかってもらえると思います。
節子が物覚えが悪いのは、酉年生まれだからです。
「鶏は三歩歩けば忘れる」と言われます。
節子の場合は、もう少し持ちましたが。
先日、なぜか娘がこの話を持ち出したのです。
物覚えが悪いことは、私と同じく、節子も自認していたのです。
物覚えが悪いことは、性格が悪いことと違って、恥ずべきことではありません。
それに物覚えのよすぎる人のほうが付き合いにくいですから、まあ物覚えはほどほどに悪いほうがいいのです。
しかし、人間は勝手なもので、自分も物覚えが悪いくせに、相手が肝心なことを覚えていないと腹が立つものです。
しかも、自分が「肝心だ」と思っていることと相手が「肝心だ」と思っていることとは、往々にして一致しないものです。
そんなわけで、私たちはよく夫婦喧嘩もしました。
しかし、物覚えのよくない節子が、私は好きでした。
その物覚えの悪い私が、なかなか節子のことを忘れられません。
彼岸にいる酉年の節子は、もしかしたらもう私を忘れているかもしれませんが、此岸の私は忘れられずに、うじうじしているわけです。
ちなみに私は蛇年ですから、しつこいのです。
鳥など簡単に飲み込んで消化してしまえるはずですが、どうもそうはいきません。
今年もまた、心身から離れない節子のことで人生を棒にふりそうです。
困ったものです。
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