■節子への挽歌1228:地蔵菩薩からの贈りもの
節子
大きなブリが神崎さんから届きました。
先日、電話で「魚をさばけるか」と電話がありました。
ブリを送ると言うのです。
神崎さんは、このブログでも登場したことがあるかもしれませんが、お地蔵さんのような人です。
と言っても、自分でも言っているように、数年前までは任侠の世界の人でした。
その波乱に満ちた人生は、彼のブログをお読みください。
節子に引き合わせられなかったのが実に残念ですが、体育会系の好きな節子にはきっと気があったでしょう。
もっとも節子は面食いでもありましたから、いささか微妙ではありますが。
何しろ神崎さんは見た感じからして、それとわかる風体なのです。
しかし正義の人である点では、間違いなく節子とは気が合ったはずです。
神崎さんに、自分でさばいたらいいじゃないかと言ったら、そんな面倒なことができるかと言われました。
指をつめるより簡単だろうと言いましたが、一人では食べきれないと言うのです。
そんなやりとりの挙句、結局、神崎さんは自分がもらうはずだったブリを私に送ってくれました。
地蔵菩薩が困っている人を救ってくれる話は本当なのです。
それが今日、届いたのです。
富山県氷見の立派な寒ブリです。
私一人では途方にくれたでしょうが、幸いにジュンがさばいてくれました。
ジュンは節子の娘ですから、何でも手前流でやってしまうのです。
私も手伝いましたが、なにしろ血を見るのが嫌いな私には不得手な作業です。
わが家には出刃包丁が2本あります。
そのうちの1本は私のです。
私が会社を辞めた時に、北九州市の収入役だった山下さんが私にくれたのです。
これからは自分で料理くらいしろと言うことだったのでしょう。
意気込んだ私は、節子に鯛を買ってきてもらいさばいてみました。
しかし、その後、私はニ度と魚はさばきませんし、節子もニ度と私には勧めませんでした。
なぜなら、その時さばいた鯛は見事に半分以上ごみになってしまったからです。
さばいているとどうしても節子の話題になります。
わが家には節子のエピソードは山のようにあるのです。
こうしていつまでも家族の話題になる節子は幸せ者です。
節子の話題を話せる残された者は、幸せなのでしょうか。
いささか微妙ではあります。
今日はブリシャブを初めとしたブリ三昧です。
節子が好きだったブリ大根やあら汁を節子にも供えることにしました。
節子も久しぶりに豪華な夕食です。
何しろわが家は普段はお茶だけしか供えていないのですから。
ところで、石鹸でよく洗ったのに、まだ手から生臭さが抜けません。
それとさばく時に見たブリに顔がまだ目の前にちらつきます。
心やさしい人に魚をさばかせるとは、地蔵菩薩も残酷なことをするものです。
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