■節子への挽歌1242:同行二人
もう1日だけ「旅立ち」の話を続けます。
節子は49日の旅を経て彼岸に着きました。
私は1240日の放浪の末に、やっと旅をしている自分に気づいたことになります。
節子を見送って以来、おろおろと生きてきたために、それに気づいていなかったのです。
もう一度、Time to say goodbyeの歌詞を見てみましょう。
いままでに見たこともおとずれたこともない場所をあなたと一緒に、新しいところに行って、新しい人生をはじめよう
今こそ暮らしましょう あなたと旅立とう
船に乗り 海を越えて
そう私にはわかっている
あなたとなら生きていける
あなたと旅立とう
船に乗り海を越え
そうわたしにはわかっている
あなたとならもう一度生きていける
あなたと旅立とう
わたしとあなたと
あなたとなら、それができる
あなたとなら、先の見えない海も乗り越えられる
とまあ、そんな意味でしょうか。
問題は、この「あなた」です。
四国のお遍路さんは、笠に「同行二人」と書いています。
いつも弘法大師が一緒だと言うことですが、その意味は、自らの中にある「本来の自己」と同行しているという意味だそうです。
「本来の自己」をどう考えるかは難しい問題ですが、私は自らの心身に刻み込まれた人生のすべてだと思っています。
そこには両親はもとより、生命の記憶がすべて宿っており、自己にして自己に非ずの「大きな生命への入り口」ではないかと思います。
そして、いまの私の場合、その象徴が節子なのです。
Time to say goodbye
別れを言って旅に出る。
これはお遍路と同じく、「同行二人」の旅立ちです。
そう考えると私の今の心境にまさに重なってきます。
言い換えればこうなります。
だれかを本当に愛したことがあれば、
どんなことにも耐えられる。
どんな世界でも生きていける。
私が旅に出たのは1回だけだったのです。
節子に出会った時だけだったのです。
フォンタナの絵は1枚だけしかなかったのです。
Time to say goodbye を聴いているうちに、そのことに気がつきました。
節子と一緒の旅なら、前を向いて進まなければいけません。
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