■政治とカネより、政治と信
民主党政権に入閣した与謝野議員の行動が多くの人のひんしゅくを買っています。
石原都知事は「軽蔑する」と公然と言い切りました。
平成の議席泥棒と揶揄している人もいます。
今日もテレビの番組に出ていた与謝野議員に手厳しく批判の声が向けられていましたが、与謝野議員の答弁はまさに自分のことしか考えていない発言で、性時にあまり関心のないわが娘でさえ、呆れていました。
私は、与謝野議員には見識も知性も、誠意も感じていないので、そもそもこういう人を政治家に選んだ国民の情けなさを嘆くだけでしたが、今回の件は社会的にも問題を含んでいるように思います。
そもそも選挙区で落選した候補者が比例区で復活するという、権力者が守られる選挙制制度には異論がありますが、与謝野議員(与謝野さんとは呼ぶ気がしません)はそれどころか、さらに比例区で拾ってもらった自民党を飛び出し、仲間と組んだ政党も裏切ったわけです。
そんな泥棒や詐欺師のような卑しい人を向かいれた菅首相の卑しさには呆れます。
生きるために、泥棒や詐欺をしなければいけない人と違って、与謝野議員も菅首相も、食べていくには十分な資産をお持ちでしょうに、哀しい話です。
いくらお金があっても、信がなければ生きていけないことの現われかもしれませんが。
しかし、今回の与謝野議員の行動は、日本の選挙制度を揺るがすほどの意味を持っているように思います。
こんな結果を引き起こす選挙に、誰が信頼感をもつでしょうか。
その意味で、与謝野議員と菅首相の罪は大きいはずです。
彼らには「信」というものがないのです。
もう一つ思うことがあります。
前の村山政権の時に感じたことですが、権力は自らの遠くにいる人を使って悪事を働くということです。
弱い人は、そうした権力とカネの誘いに乗って、自らの頸をしめていくのでしょう。
悪事の手先は、いつも心弱い、信のない人が受け持つのかもしれません。
ボードリヤールは、権力も金も同じで、自己増殖するために、一度取り込んだ人を解放しないといっています。
そうした権力や金の呪いが、この2人を呪縛しているのかもしれません。
石原さんが軽蔑という言葉を使いましたが、私はそれではとどまらないほどの悪事を働いた人ではないかと思っています。
石原さんのように、なぜもっとみんな明確な物言いをしないのか。
きっと自分も同じ仲間だからなのでしょう。
私にとっては、政治とカネよりも、政治と信の問題が大切です。
政治家にとって大切なのは「信」です。
お金の問題など瑣末な話だろうと思います。
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