■地方政治への無関心の理由
私の住んでいる我孫子市の市長選挙が1月23日に行われます。
我孫子市の前回の市長選は、新人2人の選挙でした。
にもかかわらず投票率は43%と低い結果に終わりました。
それにしても低いです。
国会議員の選挙の投票率よりも低いというのは、どういうわけでしょうか。
おそらくそれは政治のあり方、あるいは国のかたちに起因しています。
本来、生活者の視点に立てば、生活にとって一番身近な基礎自治体の政治こそが重要です。
にもかかわらず自治体の首長よりも国会議員の選挙のほうがみんな重要だと思っているわけです。
その背景には中央集権の仕組みがあります。
いささか極端に言えば、中央官庁の職員は自治体の職員よりも偉いのです。
中央から地方に出向すると必ず職位が高まります。
課長職の人が自治体に行くと部長になるというわけです。
中央官庁の課長職が市町村や県の首長になっていく事例も少なくありません。
それと同じで、地方議会の議員は国会議員の下っ端に位置しているのです。
もちろん「意識の世界」の話です。
職員は当然ながら霞が関の方を向きます。
住民のほうなど向かないのです。
そうした枠組みの中にいると、住民たちも国家の統治機構のほうに目を向けてしまいます。
自治体の行政や政治には目が向きません。
ですから、地方自治体職員や議会議員、首長が、勝手気ままに振る舞えっても、よほどのことでなければ、誰もとがめません。
それに、彼らが何をしているか、どのくらいの給与をもらっているのかも、知らないでしょう。
そうした状況が今ようやく破られようとしています。
その動きが、阿久根市であり名古屋市であり、大阪府です。
さて今回の投票率はどうなるでしょうか。
投票率が上がれば、新人候補が有利になるでしょう。
現状を変えたいと思えば、これまで選挙に行かなかった人たちが投票に行きます。
今のままでいいと思っている人や無関心の人はこれまでと同じく投票には行かないでしょう。
これまで行かなかった人が投票に行くということは、現状を変えたいと思うからです。
政権は支持層と政府が一体化した体制です。
したがって、投票率と政権交代率は比例関係にあるわけです。
ということは、投票率の高低は、その社会の成員にとっての満足度に反比例しています。
我孫子市の市長選の投票率が低いのは、要するにみんな我孫子の現状に満足しているからなのかもしれません。
しかし、もし自分が住んでいるところを、もっとよくしたいと思うならば、投票率を高めなければいけません。
投票率だけではありません。
普段から行政や議会に関心を持たなければなりません。
地域主権とは、住民がそうした関心と責任を持つということです。
それには現在の基礎自治体は、どう考えても大きすぎる気がします。
地方分権体制ではなく、地域主権体制にするのであれば、平成の市町村大分解に取り組まなければいけません。
どうも私の発想は時代の流れに反しているようです。
困ったものです。
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