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2011/01/07

■節子への挽歌1223:「元気になるかどうか、それが問題だ」

節子
今年の新年の挨拶に、次のような文章を書きました

。「希望を確信するのではなく、希望に感謝して生きたい」
これが、最近の私の信条です。
希望に感謝するとは生きていることに感謝することであり、
その「お返し」は、自分の生が他者に意味を与えることかもしれません。
自分の存在が、だれかを元気にするのであれば、これほどうれしいことはありません。
そして結局は、その元気は自らへと戻ってきます。
昨年は、そんな生き方ができたように思います。
そのおかげで、たくさんの人たちから元気をもらえました。
この文章を読んだ人たちから何通もメールをもらいました。
思いもかけなかった人からもメールをいただいたのには驚きました。
久しくお会いしていないデザイナーの田中さんは、
「佐藤さんのサイトを読んで元気をもらっています」
と書いてきてくれました。

先日わが家に来た呉さんも、元気な佐藤さんに会えてよかったと言ってくれましたが、
同じ日にインドネシアにいるチョンさんからも、佐藤さんは元気でないとダメだというようなメールがきました。
彼らが留学生だった頃、きっと私の元気が少しは役立っていたのでしょう。

それにしても、呉さんもチョンさんも前に話した時にはよほど私の気が萎えていたのでしょう。
私自身は、誰かに接する時の状況はあまり変わっていないような気がしているのですが、ある期間をあけて会ったり話したりすると、やはり違いが感じられるのかもしれません。
どうやら私は、どんどん元気になっているようです。

希望への感謝の思いが誰かを元気にし、それが自分も元気にしてくれる。
元気になれば、さらに周りを元気にしていける。
そんな「元気の循環」が、私の周りに生まれだしているような気がします。

しかし、ここでまた余計なことを書いてしまうのですが、
そうした元気が大きくなればなるほど、私の心身のどこかで、小さな声がするのです。
そんなに元気になっていいのか、
節子もいないのに、元気になると節子がさびしがるよ、と。

人の心の中には、たくさんの自分が住んでいるようです。
ハムレットではないですが、
「元気になるかどうか、それが問題だ」
なのです。

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