■節子への挽歌1238:Time to say goodbye
昨日のオペラの最後に、出演者全員で歌ってくれたのが、Time to say goodbye です。
私はこの曲を「別れの歌」だとばかり思っていました。
改めて今日、CDで聴きなおしながら、ネットで歌詞の意味を確認してみました。
別れの歌と言うよりも、旅立ちの歌のようです。
ネットの中で日本語に訳されたものをみつけました。
長いですが、引用させてもらいます。
出所はここをクリックしてください。
歌詞はイタリア語ですが、なぜか「Time to say goodbye」だけが英語になっています。
全訳はこうなっています。
ひとりきりでいるとき 私は水平線を夢見る訳のせいか、意味はかなり曖昧ですが、情景は浮かんできます。
そして なにも言えなくなってしまう
部屋のなかは暗い 陽の光がないから
あなたが私のそばにいないと太陽も消えたまま
窓から私の心が広がっていく
あなたのものになった心が
あなたはそんな私に光をふりそそいでくれる
あなたが窓の外で見つけてきた光を
Time To Say Goodbyeいままでに見たこともおとずれたこともない場所を
今こそ暮らしましょう あなたと旅立とう
船に乗り 海を越えて
そう私にはわかっている
あなたとなら生きていける
あなたと旅立とう
船に乗り海を越え
そうわたしにはわかっている
あなたとならもう一度生きていける
あなたと旅立とう
わたしとあなたと
いえ、浮かぶというよりも、私自身とあまりにも重なってしまうのです。
しかし何回もサラ・ブライトマンの歌を聴きながら、歌詞を読んでいると、やはりこれは「別れの歌」ではないかという気もしてきます。
そして、「別れ」とは「旅立ち」のことなのだと気づきました。
コロンブスの卵ではないですが、なぜかこれまであまり意識していませんでした。
節子は旅立ったのに、私は旅立てずにいる。
旅立つ勇気がほしいような、ほしくないような、複雑な心境です。
節子がいたら助けてくれるのですが。
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