■節子への挽歌1230:久しぶりの病院
節子
節子を見送ってから、なかなか近寄りがたかった病院に行ってきました。
といっても日大の歯学部の病院です。
親知らず歯が少し問題を起こしているので、昨年の春に歯医者さんから紹介されていたのです。
一人で大きな病院に行くのは久しぶりです。
節子が元気の時は、いつも節子が同行してくれましたし、節子が病気になってからはいつも私が同行していました。
病院の待合室が以前から私には苦手なのですが、節子を見送った後は病院そのものが苦手になりました。
節子を見送った1年後に、友人から病院関係の研究プロジェクトに誘われました。
私が以前立ち上げた、生活者の視点から病院を考えるヒポクラテスの会というのがあったのですが、そのメンバーからのお誘いでした。
当時は病院と聞いただけで心穏やかではありませんでした。
それで辞退させてもらいました。
しかし、3年経って、やっと病院にも行けるようになりました。
私と同じように、愛する人を見送ったことから病院に一時期、行きたくなくなった人がいます。
ホスピタルアートなどの活動に取り組んでいた高橋雅子さんです。
彼女の場合は、ご両親を見送った後、病院にある種の感情を持ってしまったようですが、彼女はしばらくして亡くなったご両親が逆に病院での活動を後ろから押してくれるような気がして、また病院の活動に戻られたそうです。
以前、挽歌でも紹介したハッピードール展は、高橋さんの活動の成果です。
もしかしたら、節子もまた、私に病院に関する活動をしてほしいと思っているかもしれません。
今日、病院の待合室でそれに気づきました。
ところで高橋さんはスロバキア国立オペラの東京公演に協力したことは、前に時評編で書きました。
その思いの良さに、オペラ嫌いの私も、その公演を応援していますが、なかなかチケットが売れません。
首都圏界隈の人で、もし行ってもいいという方がいたら、ぜひ高橋さんにお申込みください。
詳しくはブログをお読みください。私は21日に行く予定です。
何かが変わるかもしれません。
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