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2011/01/01

■節子への挽歌1217:心の中で家内を茶飲み友達にしていきます

節子
今年も穏やかな年明けでした。
例年通り、屋上から手賀沼に上がる初日の出を見ました。
初日が出てきた途端に、あたりがあたたかな雰囲気で満たされ、幸せな気分になります。
久しぶりに、そのあたたかさを感じました。
節子のいないお正月も、今年で4回目です。

届いた年賀状を見ていたら、「これからは心の中で家内を茶飲み友達として前向きに生きていきます」と書いている年賀状に気づきました。
Yさんからの年賀状です。
そういえば、Yさんもたしか一昨年、奥様を見送ったのです。
Yさんは、この文章を手書きで書き添えています。
ということは、たぶん私を意識して書いてくれたのです。
私が節子を見送ったことを知ってくれているのでしょう。
にもかかわらず、私はYさんのことを忘れていました。
自分のことになるとしっかりと記憶にとどめられるのに、他者のことは心に残っていない自分の薄情さに驚きます。
恥ずかしい限りです。

Yさんはなぜわざわざ手書きで書いたのでしょうか。
文字で書くことで、心の中の奥様が生き生きと見えてくるからではないかと思います。
私の場合はそうです。
書いたり話したりすると、安心するのです。
私の心身にも節子は宿っている気がしますが、こうやって文字にすると、その気がより確かなものになるのです。
人の思いは、形になればなるほど、実感しやすくなるのです。

届いた年賀状のなかには、節子の友だちからのものも少なくありません。
宛先は私になっていますが、ほんとうは節子に宛てて書いているのでしょう。
そこに書かれたわずかばかりの文字の向こうに、節子が見えるような気がします。

節子と最後に行ったイラン旅行でご一緒した弁護士のNさんからも届きました。
Nさんからの手紙を読むと必ず、節子と一緒に歩いたシラーズの橋を思い出します。

節子は年賀状が好きでした。
陽だまりのなかで、1枚1枚、年賀状を読んでいる節子の姿を思い出します。
節子の年賀状と私の年賀状は、意味が全く違いました。
だから節子がいなくなったいまも、実質的には節子宛の年賀状が届くのです。
今年は、私も節子のように、1枚1枚の年賀状を読みました。

私にも少し心の余裕が生まれだしたのかもしれません。
実は節子がいなくなってから、私は年賀状が書けなくなっているのです。

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