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2011/01/26

■我孫子市長選挙からの学び

我孫子市の市長選挙が終わりました。
私が応援した候補者は残念ながら当選しませんでした。
ささやかに応援をさせてもらったおかげで、いろいろな事を学ばせてもらいましたが、選挙から2日経って気づいたことがあります。
選挙のどちらかに加担すると判断基準が偏ってしまうということです。
私自身がそうでした。

選挙にまつわること、そこで感じたこと、などを、この時評編でも、私のホームページでも何回か書いてきました。
ホームページには「我孫子市長選コーナー」までつくりました。
いろいろ書いてきましたが、選挙が終わって読み直すと、いささか偏っていることに気づきます。
これを書いた時には、こんなに腹を立てていたのだろうかと思うところもあります。

それで思い出したのが、スピノザの言葉です。
「人類の本質的な敵である憎悪のあとには、悔俊が続く」

選挙は一種の戦いです。
その一方の事務所に顔を出していると、さまざまな情報に触れることができますが、おそらくそれはその陣営の側からの情報ですので偏りがあります。
同じ「事実」も、それを見る立場で全く違ったものになることはよくあることです。
同時に、人間を介した生情報が多いので、そこに感情的な思いまで込められています。
その中にいると、まさにスピノザがいう「憎悪」が心を動かし出します。
憎悪は人に勢いを与えます。
戦いには重要な要素でもあります。
しかし、注意しないと、その勢いは暴走し出すのです。
そして、ある時、悔俊が首を持ち上げだします。
まさに私のこの数日の体験です。
おそらくスピノザも同じ体験をしたのではないかという気がします。

負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、その点では負けたほうが有利です。
謙虚になれる分だけ、世界が豊かになります。
勝者は、注意しないとますます小さな世界に内向し、相手や結果からの学びを忘れます。
この体験を通して感じたのは、選挙制度や政治制度への疑問ですが、
同時に、自分自身の主体性とかアイデンティティの問題です。
はたしてそんなものがあるのか。
あるのは状況主義的なアイデンティティだけではないのか。

フランスの社会学者 ボードリヤールは、スピノザの言葉を紹介した後、
「自己批判と悔俊は統治の様態にさえなりかねない」と書いています。
そうかもしれませんが、いまは思い切り自己批判しようと思っています。
とりわけ「憎悪」の問題をどう考えるかは、私には必要かもしれません。

もうひとつ、大きな教訓を得ました。
戦いには迷いがあってはいけない、ということです。
迷いと民主主義はどうつながるのか、これも刺激的なテーマです。

「憎悪」と「迷い」、この2つを始点にして、政治を考え直したいと思います。

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