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2011/01/25

■節子への挽歌1241:突然に終わった再びの旅立ち

昨日の挽歌の続きです。
再びフォンタナの絵を思い出したのは、47歳のときです。
25年間所属していた会社を辞める決意をしたのです。
そして、退社後のシナリオをまったく用意せずに会社を辞めました。
その時の私の思いは、「また新しいキャンパスに1本の線を引こう」というイメージでした。
その時点で、価値観を変えました。
もちろんキャンパス、つまり活動のフィールドも変えました。
この時も節子は何も言わずに賛成し、2人の新しい旅立ちがはじまったのです。
ある雑誌に頼まれて、その頃の気持ちを書きました。
節子と私の関係は、そこでまた変わりました。
フォンタナの絵ほど鮮明ではないですが、人生をやり直すのはとても楽しいものでした。
そして、それから私の生き方は大きく変わりました。
専業主婦だった節子の生き方も変わりました。
私たちの関係が、それまでとは違って、ばらばらでは立てないほどに相補的になったのは、その頃からです。
ただ今から思えば、私は節子の好意にあまりにも甘えすぎた気がします。
わがままで勤め人向きでない修が、家族のために25年間もがんばってくれた、だからこれからは修の好きなように生きればいい、という節子の言葉と好意を、あまりに素直に受け入れてしまったのです。

私のわがままが、節子の負担になっているのではないか、そんな思いから1年仕事をペースダウンしようと思った時に、皮肉な事に節子の病気が発見されたのです。
節子との2番目の旅立ちは、こうして中断を余儀なくされました。
そして、節子との別れ。
3回目の旅立ちとなったわけです。
それまでともかく一緒に歩いてきたのに、突然に別れなければいけなくなったのです。
節子の旅立ちを送った後、私は旅立ちどころではなく、立っていることさえできなくなったのです。

私の人生にもし意味があるとすれば、それは2回目の旅立ち後でした。
世界が広がったのです。
私にとって、とても大きな生を実感でき、世界が見えるようになったのは、この旅立ちのおかげです。
学生時代と人生観や世界観が変わったわけではないのですが、それが現実となって現れてきたのです。
しかも、節子という「支え」のおかげで、いつも、そして何でも、思い悩むことなく取り組めました。
失敗しても、嫌になっても、全面的に理解してくれる人生の伴侶の存在は、限りない勇気を与えてくれたのです。

であればこそ、その突然の終わりは、私には辛いものでした。
それが第3の旅立ちとは気づきませんでした。
節子の旅立ちは、同時に私の旅立ちであることに気づかないほどに、私の意識が萎えていたとしか思えません。

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