■節子への挽歌1240:最初の旅立ち
一昨日、Time to say goodbye について書いた時に、「別れと旅立ちは同じこと」と書きました。
考えてみると、出会いもまた旅立ちなのです。
節子と出会って一緒に人生を歩もうと思った時、私の旅が始まったのです。
かなり意識的な旅でした。
それまでの私の人生を、その時は、消そうと思っていたからです。
もちろん、人生は消そうと思って消せるはずもありません。
しかし当時の私は、あまり現実感覚がなく、理念的に、あるいは思考的に生きていました。
自分の人生は自分で演出し、物語を創出していくのだという思いがありました。
そう思った契機は、当時愛読していた「芸術新潮」に載っていた1枚の絵です。
アルゼンチンのルシオ・フォンタナの絵です。
今でも覚えていますが、真っ赤なキャンバスの真ん中に、斜めに切口が鮮明に描かれているだけの絵です。
ネットで探しても見つかりませんでしたが、斜めに走った切口が、なぜか私の人生に見えたのです。
そしてもう一度無地のキャンバスに生きる奇跡を描きなおしたいと思ったのです。
キャンバスは、私にとっては社会そのものでもありました。
今から思えば、かなり気負いがありました。
自分の人生のドラマは、白紙から自分で演出したかったのです。
結婚は、主役の私が、共演者に節子を選んだだけの話だったのです。
だから節子への結婚申込みの言葉が、「結婚でもしてみないか」だったのです。
聞きようによっては、極めて不謹慎な言葉です。
節子の両親が慌ててとんでくるのも当然です。
しかし、私にとっては、決していい加減な発言ではなく、そこにすべてを入れ込んでいたのです。
結婚は決して目的ではない、大切なのは人生を共に開くこと。
節子は、それを直感的に感じ、私を全面的に信頼し、私との共演に身を投じたのです。
それが節子の望んでいた人生だったかどうかはかなり疑問ですが、私と人生を重ねるうちに、節子と私の人生は一体化してしまったことは間違いありません。
そして、節子は私との人生を楽しみました、
来世でも私を選ぶか、という私の質問に「選ぶ」という回答を得たことは一度もありませんが、それは問う必要もないほど明確なことだったからです。
節子との出会いが、私の人生の旅立ちだったとしたら、節子との別れは、その旅の終わりだったのでしょうか。
しかし、その前に、私にはもう1回、フォンタナの絵を思い出した時があります。
長くなるので、明日に続けます。
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