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2011/01/17

■節子への挽歌1233:だれかの役に立つ

節子
ホームページ(CWSコモンズ)に今年の挨拶を書いたのですが、それを読んだ何人かの方からメールをもらっています。
今日もまたメールがきました。
昨年春からぷっつりと連絡がなくなり、少し気になっていた人です。

とても勇気づけられました。
昨年は、自分がしていることの意味が見出せず、底辺を歩伏前進しているようなことも多かったように思います。

思ったとおりの自分でないことを、それを体験したときに、瞬時に受け入れられるようになったら、
人間のいやな部分を目撃したときに、それを現実として瞬時に外在化することができるようになったら
もっと生き方が楽になるのだろうなあと思います。

まだまだ未熟極まりない私ですが、佐藤さんのおっしゃるとおりほんの少しでも誰かにお返しできれば、
また、もしそれができなかったとしても、生きていることに感謝することは、その瞬間とてもこころがやわらかくなりますね。

こういうメールを数名の方からいただきました。
「いつかだれかの役に立てるようになりたい」というようなことを書いてきた人もいます。

節子は、元気だったころ、私の役に立っていると思っていたでしょうか。
病気になってからはどうでしょうか。
元気な時はともかく、病気になってから節子は時々、私に謝っていました。
病気になってごめんね、とか、修の生活を拘束してごめんね、とか、一緒に旅行にいけなくてごめんね、とか・・・・。
思い出せばきりがありません。
涙が出てくるだけです。
もちろん私は謝る必要などまったくないよ、と言っていましたし、そう思っていました。

私にとっては、節子は生きる意味を与える人でした。
つまり、存在するだけで私の役に立っていたのです。
いつからそうなったのかはっきりしませんが、病気になる前からです。
そして病気になってから、そのことを改めて強く実感しました。
節子は、そのことをよく知っていました。
節子は私の駄目さ加減を、だれよりもよく知っていました。
だから、私より先に逝くことを一番謝っていたのです。
しかし、それは私たちが決めたことではありません。
決まっていたことなのかもしれません。

ただ言えることは、節子がどうであろうと、節子は私の生に意味を与えてくれる存在なのです。
そのことが最近よくわかってきました。

節子がいなくなったら私は生きつづけられるだろうかと思っていましたが、なぜか節子が逝ってしまっても、私は生きつづけました。
それを不条理なことと前に書いたような気もしますが、節子がもし私の生に意味を与える存在であるならば、それは「生死」には関係ないということが最近ようやくわかってきました。
いまなお私が生きつづけられていることも、なんの不思議もないことなのです。

節子にとって私がそうだったように、どんな人も必ず生きる意味を与えているだれかがいるはずです。
その人が見えないからといって、自らをおろそかにしてはいけません。
そして、逆にまた、私にとって節子がそうであったように、人はだれもが生きる支えにしている人がいるはずです。
そして私たちがそうであったように、支えると支えられる、あるいは生きる意味を与える、与えられるは、実は同じことなのです。

勇気づけられた、というメールをもらうと、私もとても勇気づけられます。
人の心はほんとうに響き合うようにできている。
最近そう実感することが多くなっています。
彼岸の節子の心にも響いているでしょうか。

節子、
彼岸に行っても、節子は私の生きる意味を生み出しつづけています。
ありがとう。
心からそう思います。

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