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2011/01/17

■阿久根市の市長が変わりました

昨日の阿久根市の市長選で独裁市長と言われていた竹原さんが敗れました。
私の予想とは違っていましたが、これまでも私の予想は外れることが多かったので、まだ時代が私の感覚とは違うことを改めて実感しました。
かなり自分勝手な考え方ではありますが。
しかし、職員と市会議員を相手にして、よく健闘したとも感じます。

結果は竹原さんの敗北になりましたが、竹原さんは政治の世界や自治体の世界に、一石も二石も投じたように思います。
国政における政治家や官僚のやっていることがこの数年かなり見えてきましたが、多くの人たちは自分たちが住んでいる自治体の政治(行政)にはほとんど関心がありません。
というか、関心をもたせない仕組みが出来上がっているからです。
最高の統治技術は、被統治者に統治に関する問題を気づかせないことです。
よく選挙の投票率の低さが問題になりますが、投票率を低くしておくこともまた、統治者の常套手段なのです。
それが証拠に、投票率が高まるだけで、体制が変わる事例は少なくないのです。
軍政国家のようなところでは、投票率が高くなりそうだと感じると統治者は管理選挙に踏み切るわけです。

また話が脱線しました。
竹原さんの敗北の理由はいくらでも出せるでしょうし、彼が何が何でも勝とうと思えば、その方策はあったでしょう。
しかし彼は会えてその選択をしなかったのだろうと思います。
私の好きな発想です。

名古屋では今日、市議会解散の是非を問う住民投票が告示されました。
竹原さんに比べると河村さんは強かですから、名古屋ではたぶん河村さんの描いた方向に行くでしょう。
まあまた間違う可能性は高いですが、少なくとも河村さんはマスコミと上手く付きあっていますから、竹原さんよりも現実的、つまり革命的ではありません。
それに大都市ですから、直接の利害関係者は決して多くはないのです。

1月23日に、私の地元の市長選があります。
現職に対して、市議会議員が立候補しました。
28人の市議のうち、16人が現職の応援で、チラシにまで顔写真で登場しています。
それに対して、新たに立候補した市議の側には5人の市議しか応援していません。
残りの市議は勝ち馬に乗ろうと旗幟鮮明にしていない主体性のない人たちです。
その選挙に関心を持って、ささやかに関わらせてもらっていますが(もちろん私は現職ではない挑戦者を応援しています)、その活動によって地域の民度とか文化が見えてきます。

そして気がついたことがあります。
アメリカの占領政策下での自治行政の仕掛けは、日本の自治文化を壊すことだったのだということに、です。
竹原さんもきっとそれに気づいたのでしょう。

我孫子の市長選は23日です。
さてどうなりますか。
結果は私には明確にわかっていますが。

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