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2011/01/05

■節子への挽歌1221:うれしさと悲しさの共存

節子
今日は台湾の呉さんがやってきました。
7年ぶりでしょうか。
前回は節子もまだ元気でした。

呉さんとの縁は、節子と一緒に湯島で留学生たちのための集まりを毎月やっていた時にできたものです。
呉さんは毎月やってきました。
正月にはわが家にまで来てくれました。
呉さんが台湾に帰国してしばらくしてから結婚式の知らせが届きました。
相手も湯島の留学生サロンに参加したことのある人でした。
台湾での結婚式にはとても興味があったのですが、当時は私もいろいろと仕事をしていたため、その当日がどうしても調整できない用事が入っていたため行けませんでした。
今から思えば、誰かに代わってもらえたのでしょうが、当時の私の価値観はいまとは違っていたのです。
私は滅多に後悔しない性格だったのですが、このことだけは後になってとても後悔しました。

節子は台湾に行ったことがありませんでした。
一度行こうと言いながら、なかなか機会がなく、病気になってしまってからは、少し良くなったらまずは近場の台湾から旅行をしようと話していました。
呉さんからも何回もお誘いがありました。
もう少し良くなったら、といいながら、結局、台湾旅行は実現しませんでした。
そのことも悔いとなって残っています。

久しぶりの呉さんはだいぶ太っていました。
留学生サロンに集まっていたなかで、最もビジネスには向いていない若者でしたが、いまは台湾の高雄で会社をやっています。
しかしあまりの人の良さに、いささか心配ではあります。
イベントなどの記念品のバッジやストラップなどを製作している会社ですので、もしそういう話があればご連絡ください。
愛知万博ではだいぶ注文をもらったそうです。

呉さんはご夫妻で来日されたのですが、奥さんは昔、わが家のある我孫子の渋谷さんというお宅にホームステイしていたそうです。
それで彼女は渋谷さんのところに、彼はわが家に来たのです。
それぞれの話が終わった後で、彼女にも会いました。
彼女とは15年ぶりくらいでしょうか。

節子がいたらどんなに喜んだことでしょうか。
それを思うと、呉夫妻に会えたうれしさと同じほどの哀しさを感じました。
うれしさと悲しさは、共存するのです。
節子を見送ってから、よく体験することです。

でもまあ、節子はきっと喜んでいるでしょう。
節子は、とても素直で人の良い呉さんがとてもお気に入りだったのです。
呉さんは節子の位牌にお線香をあげてくれました。

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