■節子への挽歌1222:帽子
節子
寒いので和室のコタツでパソコンに向かいました。
和室の床の間に節子の写真と帽子が乗っています、
意図して乗せているわけではなく、どうも片付ける気力がなくて、ただ3年前に仮置きしたままになっているだけなのです。
その節子の写真と帽子が、コタツに入ると目の前の位置に重なるようにして見えるのです。
写真は葬儀の時に使った写真です。
黒枠を白枠に変えようと思っているのですが、どうもその気さえ起きません。
節子の記憶の残る物は、何も変えたくないという意識が働いているのかもしれません。
あるいは、ただ怠惰なだけかもしれません。
まあ私にとってはどちらも同じことなのですが。
帽子は、節子が病気になってからの旅行によくかぶっていたハンティングです。
私の好きな帽子です。
節子の服装の趣味は、正直、あまりよくありませんでした。
私との趣味の違いもありましたが、節子の好みはちょっと変わっていました。
ふた昔前か、ふた昔先のファッション感覚でした。
どうみても今風ではなく、お洒落でもありませんでした。
しかし、帽子だけは私と好みが合いました。
私は帽子をかぶっている節子がとても好きでした。
麦藁帽でもキャップでも、節子は帽子が似合いました。
その最後の帽子が床の間に置かれているのです。
そのハンティングは、しかしあまりかぶられることはありませんでした。
その最後のハンティングをかぶって、一緒に旅行したのは、おそらく数回だけです。
その一世代前のハンティングはどこにいったのでしょうか。
もしかしたら捨ててしまったのかもしれません。
最近、ようやく節子のことを冷静に思いだせるようになりました。
しかし、思い出していると涙が出てくるのは、今もなお変わりません。
帽子と写真を見ていると涙で風景がかすんできます。
そして節子が帽子を手にとってかぶってしまうような気がしてきます。
最近また節子に無性に会いたくなっています。
この先、何年、この寂しさに耐えなければいけないのでしょうか。
誰かに愛されている人が先立つことは、やはりよくありません。
先に逝くのは、愛する人でなければいけません。
節子はそれを間違ってしまったのです。
それとも節子は私以上に私を愛していたのでしょうか。
そんなはずはありません、
私の最後の旅立ちには、この帽子を持たせてもらうことに決めました。
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