■節子への挽歌1225:ゆっくり歩くといろんなことを思い出します
節子
寒くなりました。
今日はチビタの散歩に行きました。
チビタも高齢なので、近所を少しまわってくるだけですが、速度が実にゆっくりなのです。
他の犬には追い抜かれてしまいます。
そう言えば、節子の散歩も同じでした。
実にゆっくり歩きました。
私には気がつかないようなゆるやかな上り坂も、節子には負担でした。
弱い立場にある人ほど、わずかばかりの辛さを実感できることを、私は節子との散歩で学びました。
しかし、その学びは、節子がいた頃に十分生かされたとは思えません。
節子への心配りは、今から思えば、反省することだらけです。
チビタの散歩をしながら、そんなことをまた思い出していました。
鉄道で旅行をする時に、目的地までの電車の時間をどう考えるかによって、旅の意味合いは変わります。
節子は道中も楽しむタイプでした。
ですから新幹線よりも在来線が好きでした。
もちろん遠くに行く時には在来線は無理がありますが、50歳になっても、友人たちと青春きっぷなどを楽しんでいました。
私もどちらかと言えば、ゆっくり道中を楽しむ旅が好きでした。
ところで、私の人生は途中を楽しむ人生だったのだろうか、と思うことがあります。
老後になったら、という発想は皆無でしたが、かと言って、その時々を十分に充実させていたかといえば、疑問です。
節子には、私の生き方は仕事ばかりのように映っていたような気もします。
一般的にいえば、夫婦の時間は決して少なくありませんでしたし、一緒に旅にもよく行きました。
しかし、今から思えば、節子はもっと私が仕事から解放されることを望んでいたことは間違いありません。
節子が病気になってからは、私は原則として仕事は一切受けませんでした。
しかし、それまでのつながりで断れないような仕事や相談には乗り続けましたし、NPOの支援活動も継続していました。
もしかしたら、節子は不満だったかもしれません。
いやいやそんなことはない、とも思います。
節子はいつも、私はいいからもっと他の人のことを考えたらと言ってもいました。
でもあれは本心だったのでしょうか。
彼岸で節子に再会したら、訊いてみようと思います。
節子のやさしさを思い出すと、やはりどうしても涙が出てきます。
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