■節子への挽歌1246:夫婦の距離感
挽歌で、心の寒さを書いたら、少し寒さから抜け出せそうな気がしてきました。
弱みは開かなければいけないというのが、私の生活信条ですが、その効用を改めて実感しました。
弱みは内に押さえ込んでいてはいけません。
弱みは外に見せることで、時に強みに転じるのです。
いつも他の人に言っているのに、それを忘れていました。
27日に挽歌を書いていないので、今日はもうひとつ書くことにします。
挽歌のナンバーは、節子がいなくなってからの日数に合っているのですが、今のままでは1日ずれてしまいますし。
直前の挽歌で、「イタリアの小さな村の物語」に登場する老夫婦たちのお互いの距離感は、とても程よい、と書きました。
そう書きながら、私たち、節子と私の距離感はどうだっただろうかと考えました。
程よくはなかったのです。
間違いなく近すぎました。重なりすぎていたのです。
特に私は、節子にべったりでした。
節子がいないとやっていけないほどに、自らを節子に合わせていました。
節子は時々言ったものです。
私よりも素敵な女性がたくさんいるのに、どうして私とばかり一緒にいたがるの、たまには浮気をしてみたら、と。
節子にとって私はウザったい存在だったかもしれません。
私の節子への距離感は過剰に接近していたと言っていいでしょう。
節子も、仮に少しウザったいと思っていたとしても、それを許していたのですから、私たちはとても「程よい距離感の夫婦」ではなかったのです。
その結果、どうなるか。いや、どうなったのか。
一方がいなくなった時、残されたほうは立ちゆかなくなってしまうのです。
あまりに深くつながっていたが故に、その喪失感は埋めがたいほどに甚大です。
人を愛するのも、ほどほどにしなければいけません。
私たちは、お互いにいささか距離を縮めすぎていたのです。
病気になった後の節子は、それに気づきました。
だからとても心配していたのです。
しかし、夫婦の距離感は、夫婦それぞれです。
意図的に自制したりはできません。
もしかしたら、「イタリアの小さな村の物語」に出てくる夫婦の距離感も、テレビ上に演出されただけの話かもしれません。
程よい距離感の夫婦など、実際には難しいでしょう。
これは私の僻みかもしれませんが、そんな気がします。
それに、もし仮に、私たちが程よさを超えた夫婦だったとしても、悔いはありません。
その余韻が、私の生きる力になっているのですから。
ものごとには必ず裏表があるものです。
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