■節子への挽歌1227:「節子だから許してくれるよ」
節子
寒くなりました。
雪のために、交通環境にも障害が発生し、いろんな問題も起こっています。
しかし、どういうわけか、わが家のある我孫子は毎日好天に恵まれています。
新年の挨拶にもかいたのですが、私のまわりはいつもあたたかい空気で守られているようです。
節子がいたころは、その年の目標や行事を新年に話し合ったり、決めたりしていたものですが、今年はそういうことの全くない年の始まりでした。
気がついて見たら、もう11日です。
節子がいなくなった途端に、節目の感覚が無くなってしまいました。
元旦の最初の食事で、節子は私にちゃんと挨拶をするように仕向けていました。
1年の計は元旦にあり、というわけです。
ところが私はそういうのがまったく駄目なのです。
それはハウスマネージャーとしての節子の役割だろうと逃げていましたが、節子がいる頃は一応、何か一言二言話していたような気もします。
しかし節子がいなくなった途端に、わが家からはマネージャーがいなくなりました。
今年は娘が肺炎だったこともありますが、けじめなく年を越し、けじめなく年を始めてしまいました。
節子はきっと嘆いていることでしょう。
そういえば、今年はお神酒もいただいていません、
仏壇にもあげていません。
困ったものです。
しかし、節子はそういう仕来りは気にはしていましたが、そのやり方には頓着しませんでした。
実に柔軟というか、いい加減というか、そのスタイルは何でもありという面ももっていました。
「心が入っていればいいのよ」というのが、節子の考えでした。
まあその「いい加減さ」は、私と同じなのですが、ですからわが家にはこういう言葉もあるのです。
「節子だから許してくれるよ」
というわけで、節子の位牌の前のお供えはなかなか替えてもらえませんし、お茶も時にもらえません。
しかし節子のことですから、まあ良しとしているでしょう、
立場が私と逆だったら、もっと手を抜かれていたかもしれません。
なにしろいい加減の節子ですから、
まあ私もきっとこう言っていたでしょう。
「節子だから仕方がないよね」
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