■節子への挽歌1231:いやな夢を見なくなりました
最近、節子の夢をよく見ます。
昨日は2人で旅行に行っている夢でした。
今朝はかなり鮮明に覚えていたのですが、いま思い出して書こうと思ったら、なぜか思い出せません。
その前の夜も、節子が夢に出てきましたが、なんの夢だったかさえ思い出せません。
もしかしたら、夢を見たこともまた夢なのかもしれません。
夢は本当に不思議です。
節子が元気だった頃、夢にうなされて目が覚めたことが何回かあります。
あまりの怖さに節子を起こして、笑われたことさえあります。
目覚めの悪い夢も時々見ました。
金縛りになったことも数回ありました。
非日常的な奇妙な夢もよく見ました。
夢は、私には苦手だったのです。
ところが、最近はそうした夢を一切見なくなりました。
以前と違って、私の夢はとても穏やかな、日常的な夢になっているのです。
心が平安になっているのでしょうか。
節子がいなくなったのに、心が平安になるというのはとても不思議ですが、最近見る夢はいつもあたたかく、穏やかなのです。
目覚めが悪いことはありません。
一人になった私を節子が守ってくれていると思いたくなるほどです。
夢ではないのですが、真夜中に突然目が覚めることはいまもよくあります。
しかし、目が覚めても、またすぐに眠れるようになってきました。
前にも書きましたが、夜の私の寝室は、とてもあたたかくて明るい感じがしてなりません。
ところで、節子の夢を見たと書きましたが、夢に出てくる節子は、姿かたちがあるわけではないのです。
正確に言えば、「気配」なのです。
自分の顔が自分には見えないように(鏡に映さないとみえません)、節子の姿も見えないのです。
しかし間違いなく節子はそこにいるのです。
夢の中では、節子と私は重なっているのかもしれません。
だから心が平安なのかもしれません。
夢でない現実でも、早くそういう気持ちになりたいと思っています。
残念ながら、いまはまだ、節子がいないのが寂しくて悲しくて、仕方がないのです。
つまり私の心身は、平安ではないのです。
夢の世界のようになれれば、どんなに幸せなことでしょうか。
そんなことを思うことも、時にあるのです。
さて今夜はどんな夢に出会うでしょうか。
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