■節子への挽歌1218:「愛する愛」と「愛される愛」
鈴木章弘さんが、昨年、心に響いたことばのひとつとして、次の言葉を年賀状に書いてきてくれました。
生きるのに必要なものだけを持ち歩く身軽な旅は、エネルギーを高め、活力を与えてくれる。簡素こそが幸せの秘訣なのだ。ナチュラリストの探検家ピーター・マシーセンの言葉だそうです。
たしかに旅の場合はそうだと思います。
私も旅行の荷物は決して多くはないほうです。
しかし、人生という旅ではどうでしょうか。
「愛」は荷物でしょうか。
そして、生きるのに必要なものでしょうか。
昨年、愛と執着について書きました。
愛がなければ執着は生まれない。
愛から生まれる執着からどう解放さえるか。
それが輪廻の輪から解脱することだと仏教は説いています。
もう少し続きを書こうと思いながら、終わっていたことを思い出しました。
愛がなければ執着は生まれませんが、
愛がなければ人生には意味がありません。
愛を捨てることが執着を捨てることではないような気がします。
愛には2種類あります。
「愛する愛」と「愛される愛」です。
私は「愛すること」が好きなタイプです。
愛されるのは面倒ですが、愛するのは簡単だからです。
この2つの「愛」は、同じ「愛」と言う言葉ですが、まったく別のもののような気がします。
それに関しては、いつかまた書こうと思いますが、
今日の問題は、人生において荷物になるのはどちらの「愛」か、という話です。
これは悩ましい問題ですが、解脱につながる話かもしれません。
ナチュラリストのマシーセンは、自然を愛したはずです。
そして、そうした愛があればこそ、旅を続けられたような気がします。
つまり、「愛する愛」は荷物にはならないのです。
それに対して、「愛される愛」は荷物になります。
その荷物の重さに耐えかねて、旅に出る人さえいるのです。
簡素こそが幸せの秘訣。
この言葉の意味をもう少ししっかりと考える必要があるような気がします。
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