■節子への挽歌1245:寒い日
節子
この頃、とても寒いのです。
寒くて凍えそうなのです。
寒気が日本列島を覆ったことも、その一因ですが、そういう寒さとはちょっと違います。
私の心身に周期的にやってくる寒さです。
凍えそうになって縮こまるのは、身体よりも心です。
だれかに会っているといいのですが、一人になってパソコンに向かうと急に心が冷えてきて、気力が失せていきます。
以前は、パソコンに向かって、「節子」と画面に打ち込むと、自然と次の言葉が出てきて、文章が続いていくのですが、この数日は頭で考えないと書くことが出てきません。
そしてなにやら小難しいことを書きたくなるのです。
気を取り直して、テレビで毎週放映されている「イタリアの小さな村の物語」を見ました。
この番組はとてもあったかいので、私の好きな番組です。
なかなか時間が合わないので、DVDに録画して、時々観ています。
前にも書きましたが、そこによく登場するのがとても仲の良い老夫婦です。
その夫婦の距離感や血縁・地縁とのつながりも、実に程よく、見ていて気持ちが和らぎます。
どんなに仲の良い夫婦が出てきても、嫉妬したことはありません。
ただただ心があたたかくなるのです。
ところが、心が縮んでいるせいか、今日はとても寂しい気持ちがしてしまいました。
この番組は節子と一緒に観る番組だったという思いが起こってきてしまったのです。
そうなると、もう見つづけることができません。
いつもと違って、心は和らぐどころか、ますます冷え込んでしまいました。
まあ、こういうこともあるでしょう。
元気になったようでも、やはりまだ、心は安定していないようです。
彼岸が見え過ぎてしまったせいでしょうか。
ともかくこの数日、とても寒いのです。
節子に何かなければいいのですが。
まあ此岸の私が心配するのもおかしな話ですが。
そういえば、4日前からチビ太も夜、意味もなく鳴きつづけることがあります。
東のほうを見ながら、暗闇で鳴いています。
彼岸は西方のはずなのですが。
いつもは私のまわりは、いつもあたたかさに囲まれているのですが、
今日はことさら寒いです。
あたためてくれる節子は、もういません。
寒さを自分で跳ね返すしかありません。
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