■節子への挽歌1271:春は名のみの 風の寒さや・・・・
節子
今日は、この挽歌を読んでくださっている方からいただいたメールを勝手に公開してしまいます。
私と同じように伴侶を見送った女性の方です。
私の挽歌よりも、私の時評よりも、とても説得力のある文章です。
何回も読ませてもらいました。
どこか、心に残るものがあるからです。
風や空の色、そして光、全てが春へと向っています。流血、心からの笑み、罪悪感。
ニュージーランドのクライストチャーチの地震、エジプトに続くリビアの革命、地球上のあちこちで阿鼻叫喚の声が聞こえます。
心を揺さぶる文章ですか?佐藤さんの文章、どんな酷い体調の時でも、心が折れてぼろぼろの時でも書き続ける意思。
正直に、素直に書かれた文章は、時に切なく、時にアホで、時にそうだそうだと旗を振ったり、そうじゃなかろうと、くそっと罵ったり、購読料を払わず読ませていただいているこの数年、NHKの受信料よりよほど意義あるものと、楽しみなのです。書けない時もおありでしょう、愛する人のいない、愛される事のない毎日、伴侶の居ない事というのは、片翼飛行に似て、着地していても、バランスが取れていない、バランスが取れていない事を、ごまかしているために、もっと悲惨。
たぶん花の名前などご存じなかったであろう佐藤さんが、周りの小さい花々に目を向けられた時、私は瞑目したのです。愛する人を死なせたという、罪悪感を死ぬまで背負いながら生きてゆく重さを、佐藤さんの中にも感じるのです。
春が来ても、いえ春が来たとしても、佐藤さんの顔に心からの笑みが、訪れることがないのは確かです。
啓翁桜,河津桜、花屋さんで見かけます。昨年、花見のお誘いしたのを思い出しました。
辛い思い出です。
北朝鮮、中国、革命が起きたらと思う国です。
ただ民の流血は、防がねばなりません。何時の世も、流血の始まりは民なのです。春は名のみの 風の寒さや・・・・
お元気でいて下さい。
そして、春は名のみの 風の寒さや・・・・
早春賦は子どもの頃、よく歌いました。
風の寒さの意味も知らずに、ですが。
まだ花見には行けそうもありません。
| 固定リンク
「妻への挽歌07」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌1400:世界で一番孤独な部屋には「孤独」はない(2011.07.03)
- ■節子への挽歌1399:そうだ 奈良にいこう(2011.07.02)
- ■節子への挽歌1398:消えてしまった老後(2011.07.01)
- ■節子への挽歌1397:暑い夏の夜は嫌いです(2011.06.30)
コメント