■権力の煩わしさ
菅政権の支持率がさらに低下しているようです。
今日のNHKの調査によれば、支持者はいまや5人に一人、不支持者はその3倍を超えています。
エジプトのような革命が起こってもおかしくない状況かもしれません。
しかし、日本の場合、政権そのものの存在(機能)がエジプトとは違うのです。
政権支持者が急落するのは、菅政権に始まったことではありません。
最近は高い支持を得て成立した政権が、1年もたたずに支持されなくなり、政権が交替することが繰り返されています。
このことの意味を考える必要があるのかもしれません。
そこで思い出すのは、やはりジャン・ボードリヤールです。
彼は最後の著書「悪の知性」で、こう書いています。
民衆が政治家階級の管理に信頼を寄せるとすれば、それは代表制の意思からというよりも、むしろ権力を厄介払いするためである。自由を得た民衆が感じたのは、おそらく「自由の煩わしさ」です。
権力を得た民衆もまた、「権力の煩わしさ」を感じているはずです。
もしかしたら、莫大なお金を手にした人も、お金の煩わしさを感ずるのかもしれません。
「無いと欲しい」が、手にはいると煩わしい、それが自由や権力かもしれません。
私はたぶんお金もそうではないかと思っています。
そして、実はこの3つ、自由と権力とお金は、もし貸したらみんな同じものの一面なのかもしれません。
ボードリヤールの本には、こんな話が出てきます。
反乱者が権力を欲していると聞き及んだとき、ルイ16世は狼狽した。ルイ16世にとっては、権力は神からの義務だったのです。それも逃げることのできない、煩わしい義務だったのです。
どうして権力を欲することなどできるのか。
それを自ら担おうとする人がいるとは、彼には信じられなかったのでしょう。
断頭台の上に立ったとき、何が起こっているのか、彼にはわからなかったのかもしれません。
もしダントンやロベスピエールが、その煩わしさを引き受けてもいいと理解できるように話したら、フランス革命は起こらなかったかもしれません。
それにそもそも民衆の歴史には非連続な断層、革命などはありえないのです。
ルイ16世やムバラクと、日本の首相の違いは「代表原理」に基づく正統性です。
しかし、昨今の状況を見ていると、「代表原理」に基づく正統性ほど危ういものはありません。
この数年の日本の民衆は一夜にして、手のひらを返すことがあるのです。
それは驚くべきことです。
その理由は、私たちの首相の選び方が、代表原理ではなく、権力の厄介払い原理に従っているからかもしれません。
消去法で、他の人よりよさそうだから政権を支持する人も少なくないことに、その本質が垣間見えます。
もし首相とは権力の厄介払いの受け皿なのであれば、この数年の首相はミスキャストだったのかもしれません。
同時に、日本においては、首相の意味が変わってしまったのかもしれません。
昨今の政治状況をみていると、そんな気がしてなりません。
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