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2011/02/03

■エジプトの住民たちの愛の表情

エジプトの状況がかなり深刻になってきたという情報が、ネットでいろいろと配信され出しています。
日本のテレビで観ている情報だけだと世界を見間違うこともありそうです。

それはともかく、中近東に広がりつつあるマルチチュードの波には、戻ることのないような勢いを感じます。
その根底にあるのは、やはりネグリがいうように、「愛」かもしれません。
ネグリは「マルチチュード」でこう書いています。

愛の概念こそ、私たちがマルチチュードの構成的権力を理解するために必要なのである。
ネグリがいう「愛」は、近代が矮小化した「私的な愛」ではありません。
彼はこういうのです。
近代の愛の概念はほとんどといっていいほどブルジョアのカップルや、核家族という息の詰まるような閉鎖空間に限定されている。
私たちは近代以前の伝統に共通して見られる公共的で政治的な愛の概念を回復しなければならない。
テレビで見るエジプトの人たちの表情には「愛」を感じます。
銃を持った軍隊の前でさえ、彼らはおじけることはありません。
エジプトに限らず、そうした光景を見るたびに、私はネグリのこの言葉を思い出します。
彼はまた、そうした「愛」は「死」と同じくらい強力だとも書いています。

反政府デモをしているしているマルチチュードのなかにラクダや馬で突っ込む大統領支持者もしくはその傭兵たちの表情はどうでしょうか。
彼らを動かしているのは、愛ではなく金かもしれません。
そしてもう一つの違いは、彼らの行動は「管理された行動」なのです。
いずれの力が大きいかは、一概には言えません。
しかし、今回は前者、つまり「愛」が勝つだろうと思います。

ネグリはこうも書いています。

この愛がなければ、私たちは無に等しい。
果たして今の日本には、愛があるのか。
エジプトと日本と、どちらが平和なのか、時に迷うことがあります。

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